椛島洋介氏とは…
こんにちは、編集長のノダショーです。
今回フォーカスする椛島洋介(かばしまようすけ)さんとは、アニメ「戦姫絶唱シンフォギアAXZ」「D.Gray-man HALLOW」「魔弾の王と戦姫」などでキャラクターデザインや総作画監督、「アクセル・ワールド」や「とある科学の超電磁砲S」などではアクション作画監督を務め、更には絵コンテまで描かれるスーパーアニメーター!
ただし、今回はいつものインタビューとは違います…。
というのも、もともとインタビューでも何でもないただのサシ飲みを、余りにも凄い話だったので、僕が無理言って書かせてくれとお願いしたものだからです!(笑)
そのため、扱い的にはインタビューではなく、コラムです。なので、僕の主観が入ることが多いですし、正直、長いです。
あらかじめご了承くださいませ…!
さて、そんな中で椛島さんとお話したのは、学生時代、アニメーターをお仕事に選ばれるまでの過程や、プロになってからの挫折、そして絶望も逆境も乗り越えて復活されるまで!
加えて、自分の強みや向いているものが分からない方へ、その見つけ方。
アニメーターに関心のある方へ、アニメーターとしての資質、デジタル作画についてなど。
超てんこ盛り、愛もてんこ盛りでお届けします!
アニメのクレジットを分析する小学生が、アニメーターへの決意をするまで
まず、椛島さんとのお話で最初に驚いたこと、それは小学生からアニメのクレジットに注目していた、という事実!
いや、信じられますか? 小学生が「聖闘士星矢の荒木信吾さんすげえ!」とか、「荒木さんが作画監督をやってる回は、なぜ姫野さんが原画なんだろう…?」とか分析してるんですよ(笑)
凄いアニメーターというのは、オタク歴も凄まじい…。この時点で椛島さんの過去ってどうなってるんだ?と興味を惹かれました。
そして、中学時代はサンデー編集部へ宇宙刑事モノのマンガを投稿されていたらしく、そこから静的なマンガから動的なアニメへ、ものづくりの関心が移られます。
ちなみに、この頃の椛島さんは、「サムライトルーパーの村瀬修功さんの絵が美しい…」と言っていたそう。
そして、もともと過程が気になる性格らしく、アニメ雑誌を通じ、製作工程や制作現場を知られます。
中でも面白かったのは、作監と原画マンはスタジオで実際に、
「君、その絵はこう描くんだよ」
「はい監督!」
とか作画中、背中越しに指導されてる訳じゃないのか!と驚かれたという話(笑) 確かに、僕も作画監督って初めて聴いた時のイメージはそうでした(笑)
そして、過程を知る中でアニメーター達にリスペクトが生まれ、「将来はアニメーター!」と本格的に決意されます。
絵を描き続け、不登校気味だった高校時代
でも、やはり気になるのは高校時代…。
一体、椛島さんはどんな高校生だったのか!?
お聞きすると、福岡の工業高校に行かれていたらしく、ヤンキーが多くて学校にいくのには抵抗があったそうです。
そのため、アニメーターになるために家でひたすら絵を描き、不登校気味に…。
しかし、それにもやはり限度はあります。何かに理由をつけて学校に行かれなかったので、ある日お母様に泣かれてしまいます。
しかし、そこで凄いのは、普通、
「ごめんな母さん…。分かった…オレ、明日から毎日学校行くよ!」
と、なりそうなところをそうならず、冷静に「国語はあと3回でダブるから国語だけ行くか…」と単位計算をして落第しないようにはしつつも、絵を描き続けたということ。
子供にとって、親というのは絶対的な存在です。それを前にしても、自分の意思をこうして通せるのは本当に凄い。いや、そうなったらもうご両親も諦めるしかありません。
「きっと、この子にはこの道しかないのだろう」
恐らくそう思ったのではないかと椛島さんは仰っていましたが、その後、アニメーターになる時は反対されず、むしろ背中を押してもらったそうです。
まるでマンガ! 個性の強いイラスト同好会の先輩たちとの出会い
そんな椛島さん、学校にはあまり行かなくても、同好会はやっていたそうです。そして、この同好会がクセが強くて大変面白い!(笑)
ある日、先生に「部活に入らないのか?」と言われ、説明会で気になっていたイラスト同好会を訪ねた椛島さん。
恐る恐る部屋に入ると、まるでマンガ『究極超人あ〜る』のように、暗い部屋の中、会長が窓のブラインドを指で下げながら、
「キミかい? 入部希望の1年生というのは…」
と言いながら立っていた!(笑)
椛島さんも、
「マンガみたいなところにきてしまった…!」
と驚いたそうです。
しかも、その会長が突然の無茶振りを繰り出します。
曰く、「入部希望者は1枚描くのが掟なのだッ!」と。
しかし、そんな中、どぎまぎしつつも描いたドラゴンボールの悟空のイラストを会長絶賛!
「キミは10年に1人の逸材だ!」と褒められ、「ウソ~??」と半信半疑ながら嬉しくなるも、先輩たちは何故プロにならないのか、と疑問に思う程、上手い人ばかりだったそうです。
オーバリズムの継承者と、レジェンド大張正己との出会いとは?
さて、椛島さんのファンなら当然気になるのが、「オーバリズム」を生み出したメガ作画のレジェンドこと、大張正己さんとの出会いの過程です。
※オーバリズムとは:
独特のディフォルメである「ロボなのに人っぽい顔で筋肉が付いているかのようなボディライン」や中割りを用いないダイナミックな作画、絵の陰影の付け方などをまとめて「オーバリズム」と呼ぶ。(出典:ニコニコ大百科より)
ではまず、実際に出会われる以前の、ファンになるまでのお話。
もともと、『機甲戦記ドラグナー』のOPが、滅茶苦茶カッコイイと思われていた椛島さんでしたが、当時はまだ大張さんを認識されてなかったようです。
そして、中学時代『太陽の勇者ファイバード』のOPで、ついに大張さんの名前を認識!(しかし、アニメファンあるある! 大張さんを漢字が読めず、「おおはり」と読む(笑))
そして「この人凄い!!!」となってからはもう遡れるだけ遡る!
『勇者エクスカイザー』を見返したら、OPやってんじゃん!となったり、専門時代に見たマッドビデオで、探していたドラグナーとも再度出会ったり、レンタルビデオ屋で、『バブルガムクライシス』『暗黒神伝承 武神』などを発見したりし、どんどん大張さんへの想いは募っていきます。
専門学校へ進学、そして邂逅へ…
高校卒業後、椛島さんは代々木アニメーション学院 福岡校に進学されます。
そして、20歳の頃、近くの本屋でサイン会を開いていたナマ大張さんと、ついに邂逅を果たします!
普通ならここで憧れが強ければ強いほど、緊張のあまり、「お、応援しています…」しか言えず、後悔しながら帰路に着くことさえあるのが、オタクの悲しき性でしょう。
でも、ここが流石の椛島さん。
大張さんに対し、
「俺の名前と顔を覚えていてくれ!」
と愛を叫びます!(笑)
勇み足で業界入りするも…3か月で挫折
そんな大興奮の出会いから数ヶ月経ち、21歳でアニメ業界入りされた椛島さん。
しかし、そんな椛島さんの元に、大きな壁が立ちはだかります。
「ここのレベルに着いていけない…」
そう、プロの中でも最前線を走るアニメーターが集まるスタジオに入られた椛島さんでしたが、その世界で生きるのは簡単ではありませんでした。
勇み足で業界入りするも3か月ののち、挫折…。
上司に辞意を告げられます。
しかし、上司からは
「お前のモノサシで測るんじゃない!」
「そのプライドの高さはなんなんだ!」
「今やることはなんだ!?」と問い詰められ、思わず、
「手持ちの仕事を早く終わらせることです…」と返す椛島さん。
分かってるならさっさとやれ、と机に戻されます。
そう、アニメ業界入りして初の戸惑いは、「あれ…辞めさせてもらえない…?」という衝撃だったのです。
しかし、今、自分が若手のアニメーターにそう言われたら、きっと自分も当時の上司と同じことを言うだろうと仰る椛島さん。
その真意は、若手アニメーターにありがちな自意識にあるようです。
「怒られないようにしなきゃ…」怯える日々から気付いた、若手にありがちな勘違い
どんな業界でもそうかもしれませんが、苦しくも、若手というのは日々怒られる存在です。
でも、何も出来なくても、給料だけは貰っている。だから、給料に見合うよう教育され、怒られる。
そして、それは今となってはスーパーアニメーターの椛島さんとて例外ではありませんでした。
一所懸命描いた絵を上司に何度も何度も直されるうちに、「怒られないようにしなきゃ……」と怖くなり始めたそうです。
僕も上司に何度もダメ出しを喰らうと、「この人、僕のことを嫌いだからこんなに直させてるんじゃないのか…?」と過剰な不安を抱くことがあるので、この気持ち、すごくわかります。
しかし、椛島さんはある時、「自分はいつも同じところを直されている」ということに気付きます。
そこからは、「ではどうすれば克服できるのか?」と考える。そうすると、段々出来るようになり、直されなくなる。
ここで重要だったのは、「どうしてお前はこんなことも出来ないんだ!?」と直されているのだと勝手に思い込んでいたが、実際は理解していないから直されていただけだったということだそうです。
そして当然、直されなければ楽しい。楽しいからサクサク進む。サクサク進めば上がりが沢山出て、先輩から
「頑張ってんじゃん」
と褒められてテンションが上がる。いい流れが生まれていったそうです。
でも、そこで調子に乗って自己主張が激しくなって、上司に怒られる(笑)
今思えば、これを週1で繰り返していたのが、新人時代の椛島さんだったようです。
何故だろう、どこか愛らしささえも感じてしまいます…。
レジェンドとの再会! そしてタッグへ
さて、その後大張さんとの関係はどうなったのか?
再会はとても自然に訪れました。
アニメーターになってから数年、先輩が飲み会に大張さんを呼んで下さり、再会されたのです。
また、嬉しいことに「俺のこと、覚えてらっしゃいますか?」と訊く椛島さんに、「勿論覚えてるよ(笑)」と言って貰えたそうです!
でもあれだけ強烈な自己紹介をされたら忘れないでしょう(笑)
更に更に、椛島さんはそこからもう一歩踏込み、大張さんの監督作『エンジェルブレイド』の2話で「作監をやりたい」と申し出ます!
さぁ、大張さんはどう答えたのか?
それはもう男前な一言です。
「何を言っているんだ、やってもらいますよ!」
「メカデザインとして俺と名を連ねませんか?」
そこから大張さんと椛島さんの交流は生まれます。
しかし、同作で大張さんから、バイクのメカデザインのラフを描くから、清書をして欲しいと言われ担当されますが、お忙しい大張さんは中々ラフを上げる時間がない。それでも、アフレコの日は刻一刻と迫る。
そんな苦しい状況、音響監督と話し合った結果、椛島さんがラフを思い切って描かれることに…。
そしてそれを見た大張さんからの評価は…なんと一発OK!
この時のエピソードを椛島さんは笑いながら、「あれはテストだったんじゃないかな(笑)」と語られています。
そして、その後も、『超重神グラヴィオン』を大張さんがやられている中、椛島さんは「どうか自分もメインで関わらせてくれ!」と嘆願。
願いは聞き届けられ、大張さんと椛島さんは、メカニックデザインとして再びタッグを組まれることになったのです。
「大張さんはとても楽しい人だけど、同時に凄く誇り高くてカッコイイ人でもあるんだ」
そう嬉しそうに、椛島さんは語ります。
全てが順風満帆! …ではなかった。手が動かない逆境と絶望のどん底へ
ここまでのお話を聞いていて、確かに高校時代や新人時代の苦労はありつつも、僕にはまるで全てが順風満帆のように感じられました。
だから、僕は思い切って訊いてしまった…。本当は聞くべきかどうかもわからないことを。
「椛島さんのようなヒーローでも、絶望という体験はあるのでしょうか?」
でも、その質問は、椛島さんにとって、一番苦しい時期を引き出す質問でした。
声のトーンを落とし、「アニメ業界にはもっとすごい状況になった人がいるけど…」と前置きをされつつも、静かに語り出した椛島さんの一言は、僕をその場から動けなくしました。
「…手が動かなくなったんだ」
今でも、自分が手に持ったビールジョッキの持ち手が、やけに冷たかったことを覚えています。酔いが急激に醒めるようでした。
そう、過去にあるアニメをやられていた時、椛島さんは重圧から手が動かなくなってしまったのです。
深夜の作業中、突然ペンが手からすり抜け、床に落ちる。拾い上げようとしても、手に力が入らない。ペンが握れない。
「アニメーター人生、詰んだ…」
そう思ったそうです。
言うまでもなく、アニメーターにとって手は商売道具。絵を描けなくなれば、アニメーターは廃業です。
そこから様々な不安が一気に脳内を駆け巡る。
「明日から一体どうやって生活するんだ?」
妻も子供もいるという責任を、これからどう果たすのか…?
そんな絶望のどん底に突き落とされながら、深夜、奥様に「両手が動かないんだ」と打ち明けられます。
妻の「介護」と、逆境に抗う意地で現役復活を果たす
しかし、ここからが本当に凄い。
奥様は入っていた予定の当日にも関わらず即座にドタキャンされ、つきっきりの看病へ。
まずは病院です。
しかし、お医者様からは「休め」の一点張り。
「放送中のタイトルがあって、メインをやらせてもらってるから休むわけには行かない!」
そう椛島さんは抵抗されますが、
「しかし手が動かないのでしょう? 休みなさいということですよ」
とお医者様になだめられてしまいます。
悲嘆に暮れて家に帰る椛島さんに対しての奥さまの看病は、まるで「介護」のようだったと椛島さんは言います。
それでも、自分のために動いてくれる奥様に励まされ、自分もやれる全てのことをやったそうです。
電気治療に、温泉療法。もう意地だったと。
この逆境に負けてはいけない、その一心だったのだと思います。
そうして、3日目にして手が少し動くようになります。
とはいえ、普通だったら仕事なんて考えもしないでしょう。
しかし、椛島さんはタブレットの筆圧検知を最大にして絵を描かれます。まるでその逆境に、全力で抗うかのように。
それから、運命に翻弄されるような1週間が過ぎて、どうなったのか。
「絵が描けることがこれほど嬉しいという時はなかった」
そう、椛島さんは、ようやく、全面的に回復されたのです。
奥様に励まされ、絵を描くことに焦がれ、逆境も絶望も乗り越えて、自分の運命をその手の中に取り戻したのです。
この時のことを振り返り、
「妻の行動にはただただ励まされた。本当に、心から感謝している」
そう、椛島さんは語られていました。
向いているものを見つける方法は、「自分は凄いと思っていないが、他人が凄いと言ってくるものを見つける」こと
この話を聞いて、反省の念を心に抱えつつも、頭をよぎったことがありました。
「椛島さんは、一体どうしてこんなにも絵を描くということに賭けられるのだろう…?」
そう、自分の時間を、労力を、人生を。
しかし、そんな時、1年以上前に椛島さんと、以前ドンクライでもインタビューさせていただいたアニメ演出家、金子さんらで飲んだ時に、椛島さんが言っていた言葉を思い出したのです。
曰く、「向いているものの見つけ方は、自分は凄いと思っていないが、他人が凄いと言ってくるものを見つけること」だと。
この話をこの時椛島さんにしたら、「全く覚えてない(笑)」と笑われてしまいました。
しかし、その時の椛島さんは、こう続けていました。
「俺は、机に向かって12時間でも絵をかけることだね」と。
そして、金子さんは、
「僕はカットに足りない要素を各スタッフに伝えるのが、的確って言われるかな」と。
そして、それが何かわからないという僕には、
「ノダショー、お前はね、愛だよ。他人への愛だ」
という滅茶苦茶カッコ良い言葉を残されたのです。
余談で恐縮ですが、椛島さんが大張さんを尊敬し、誇らしく語るように、僕も椛島さんを尊敬し、誇らしく語らずにはいられない。それはこういうことをサラッと言ってしまう、僕にとってのヒーローだからなんです。
ちなみに、この「向いているものを見つける方法は、自分は凄いと思っていないが、他人が凄いと言ってくるものを見つけること」という方法を、就活が上手くいかないことに悩む就活生にアドバイスすると、大体内定するようになりました。
そんな、もの凄いアドバイスなのです。
自分の強みや、向いていることが分からないという方、是非、お試しください!
アニメーターとしての資質は、とにかく描き続けられること
そして、同時に気になるのは今は教える立場にあられる椛島さんから見て、アニメーターの資質とは何なのか?という疑問でしょう。
曰く、下手でもいいから、とにかく「描き続けられること」だと椛島さんは言います。
そして、この言葉には勿論きちんとした意図がありました。
画力はあとから幾らでも着くが、スピードは業界に入って3年間以内など、早いうちにしか身に付かないからだそうです。
そして、椛島さん曰く、スピードを上げる3つの法則は、
①ミスをなくす
②効率を上げる
③物理速度を上げる
ということらしいのですが、これらは無理にでも仕事を突っ込まれないと出来る様にならない。それらを通じて、スピードと集中力を磨いていくのだと。
具体的に言うと、
①普段起こしやすいミスに気を付けることで、ミスが減り作業の時間が短縮される
②慣れることで作業を効率化していき、更なる時間短縮を図る
③無理を強いられる、無茶を強要される。これに応じることで物理速度を上げる
ということだと言います。
そして、椛島さんの逆境に抗う姿勢は、最悪な環境さえも活かすよう発想するのです。単価が安くても、だからこそ「安いからもっとやらなきゃ、たくさんやらなきゃ…!」と自然に追い込まれる。そして、毎月欲しい金額を設定して、日で割って1日のノルマを自分に課したそうです。
「最初からある程度、固定でもらっていたら、今のスピードも根性も、劣悪な環境を打破する発想も身につかなかった」
そう椛島さんは過去を振り返って語ります。苦しい環境さえも、物理速度を鍛える糧となり得る。だから、劣悪な環境も、必ずしもアニメーターにとって最悪なだけとは思わないと椛島さんは言います。
何より、どれだけ丁寧に描いても「ヘタクソ」と言われる。
ならば、スピード優先で描いて、例えその絵がぐちゃぐちゃでも、どうせ「ヘタクソ」なんだからスピード優先でいこう、と割り切っていた。だからこそ、速さが身に着いた。
それ故に、アニメーターの資質とは、下手でもいいからとにかく「描き続けられること」だと椛島さんは言うのでしょう。
デジタル世代を否定するより、話を聴きたい
そんな椛島さんですが、最近はもうデジタル作画の比率が以前と比べてかなり高くなってきたそうです。
そして、デジタル作画に慣れた結果、アナログで描いていて、指でCtrl+zを押しても戻らず、「グワァッ!」ってなったりしていると(笑) 「ハッ…! レイヤーが分かれてないから、眉毛を消したら髪も消える!?」となっていると(笑)
でも、これからデジタルで絵を描くのが当たり前な「デジタル・ネイティブ」な作画世代がきっとどんどん出てくる。
では、鉛筆で描いてきた世代との間に、意見の食い違いは生まれないのか?と尋ねました。
「いや、デジタルは彼らの方が分かるのだから、自分が寄り添っていかないとまずいでしょう」
しかし、それにはもうこの一言。こういうところに痺れてしまうんです。
「良いところをもらっていかないと。むしろ話を聴きたいと思っていますよ」
椛島さんの絵に対する向上心、そして、実力に年齢は関係ないという姿勢、プロの世界への敬意を感じずにはいられません。
新しいものを創造する秘訣は、研究と経験
そして、椛島さんの凄さは作画技術だけではありません。0から1を生むキャラデザやメカデザもやられる。
では、その秘訣とはなんなのか?
それにも椛島さんからはシンプルな一言、「研究をすること」だと。
例えば、メカならメカの流行の歴史や、名を馳せたデザイナーを知り、その人がどんなルーツを辿ってデザインしたのか、研究することがまず大切だと言います。
そう、「ルーツのルーツを探るんです」と。
そして、その研究に、「今求められているものはこういうものではないか?」という自分なりの+αを乗せていく。
きっと、そういったものが、オリジナリティにも繋がっていくのかもしれません。
加えて、映画や本だけでなく、アニメからだって学べると椛島さんは言います。
そして勿論、経験からも。大学に行ったら、行った人だけが知る経験があるはず。早く業界入りすればいいというモノでもない。
表現の最前線にいる椛島さんの言葉だからこそ、説得力があります。
目指すは監督。リスペクトはTOKIO!?
そして宴もたけなわになってきた頃に訊く質問は当然これでしょう。
「椛島さんは、これからはどこを目指すんですか?」
その質問には、「やりたいのは、そろそろ監督かなぁ(笑)」と、はにかみながら椛島さんは答えられました。
でも、ここからが椛島さんの面白いところです。
だけど、やはり特撮が好きだから、特撮の監督もやってみたい、週末ヒーローショーのバイトも興味がある、と話が色々な方向に飛んでいきます(笑)
そして、話はifの世界まで(笑)
もし、アニメーターをやらないのであれば、魚屋や農家が気になると笑顔。
魚を捌く工程が凄く気になったり、野菜の栽培に関心があったりされるようで、やはり過程が気になるクリエイター気質は、色々なところに当たり前に顔を出すようです。
「だから、TOKIOを凄くリスペクトしてるんだ(笑)」
そう言って、椛島さんは笑うのです。
唐突ですが、クリエイターという存在ほど面白く、逆境に立ち向かう力を持った人たちはいないと僕は思っています。
世の中はRPGと意外と変わらなかったりすると思うのですが、だとすれば彼らは、ステータスで自分の強みに極振りした人たちでしょう。
普通の人は生きる上で、きっとこれも必要だ、あれも必要だと平均値に割り振ってしまうのに、彼らはそうしない。
「俺はこれがいい。だからこうする」
でも、そこで磨いた武器だからこそ、打ち破れる絶望と逆境がある。
その極地を超え、彼らは今夜も画面を通じて、その爪痕を僕らの心に刻んでいく。
そして椛島さんは間違いなく、その中でも特大の剣を持った人なのです。
帰り道の電車に揺られながら、椛島さんとの会話を反芻しながら思い出します。
「ノダショー、感想聞かせてくれよな」
そう言って以前貸してくれた『アクセル・ワールド』の劇場版のBDパッケージ。
ワクワクしながら家に帰って開けたら、ドラマ『相棒』が入っていて、思わず吹き出してしまった。あんなに凄い人なのに、やはりどこか抜けてらっしゃる。愛おしい人間らしさがある。
けれど、相棒は無理でも、こうして一瞬でも横に並べたことを、椛島さん、僕は嬉しく思うのです。
無理を聞いてくださって、どうもありがとうございました!
そして、これを読んでくださったあなたに、椛島さんの魅力が一つでも伝わったのなら本望です。ありがとう、ありがとう。
書いた人:ノダショー(DON'CRY編集長)
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