こんにちは、編集長の野田翔(ノダショー)です。
激画団の劇場上映プロジェクト、ついに終幕となりました!
語り部として付き合ってきた1年
京都・激画荘への取材からほぼ1年、彼らの劇場上映を僕らDON'CRYはプロデュースしてきました。
初めて監督と出会った時、彼が話していた一言がこのプロジェクトにつながったことを今も思い出します。
それが、自分たちが激画荘に集まったという背景を含めて、激画団のフィルムを楽しんで欲しい、というものです。
僕らはメディアです。メディアには読者の皆様がいて、語り手の僕ら編集者やライター・カメマンが存在します。
そしてメディア人の僕らに作品は作れないけど、語り手としてなら彼らの背景を、彼らより上手く伝え、さらにはまだ存在しない文脈を作ることができる。発信と文脈作りはメディアの本分だからです。
何より、僕らは作品に救われてきた人間。作品に強烈な愛を注ぐ彼らに、強く共感しました。
こうして彼らの物語と背景を、自主制作アニメ・クラファン・ロボットアニメの3つの文脈と絡め、糸を紡いできました。
その結果、DAICON FILMやGAINAX創立メンバーの1人武田康廣さんや、そこから派生したTRIGGERの雨宮哲さん、自主制作アニメをマンガで描く大童澄瞳さん、自主制作でクラファンを行った山本寛さんや金子祥之さん、ロボアニメの巨匠吉田徹さん、同じくロボアニメ伝説のプロデューサー植田益朗さん、そして、自主制作アニメの聖地下北沢トリウッドとの関わりが実現したのです。
プロの作り手として晒される厳しさ
「創作ではなく、発信である」
これは激画団が劇場上映にあたってパンフレットに記したキャッチコピーです。
しかし、このキャッチコピーを作り手として何者かとなった彼らが劇場で掲げることによって、当然、プロの作り手たちからは厳しい意見が飛ぶこともあります。
『映像研には手を出すな!』の大童澄瞳さんは映像をメールで送った段階から既に、
「パロディの評価とは全て構成と技術力にかかっている」という指摘をされていました。
対談でも和気藹々とはしつつも、常に「僕はオリジナリティあるものしか作らない」とスタンスを分けたトークを展開されました。
最終日の山本寛さんも、裏設定にオリジナリティがあるなら、それは出さなければオリジナリティにはならないという指摘をされていました。
表現をする限り、批判は常に隣り合わせ。しかし、彼らがただの大学生と違うのは、お金を頂いて劇場上映をした以上、プロと同じ土俵で批判される点でしょう。
「創作ではなく、発信である」
これはパロディーてんこ盛りの作品を作った彼らの今回のスタンスです。
しかし、この言葉が創作者としての逃げ道にならないように注意は必要だぞ、というのが、プロの第一線にいる先輩たちからの暗黙の主張であったことは間違いありません。
本気でそう言わせたことは誇ってほしい
しかし同時に、多くのゲストから寄せられたのは自分が学生の時、このレベルのものを作って上映なんてできなかったという感嘆の声であったことも、彼らを語る上では忘れてはなりません。
そもそも学生での集団自主制作というのは、失敗が常です。
その中で、プロ未満のところは多々あったにしろ、とてもじゃないが学生が作れるモノではないモノを作った。
だからこそ、先輩方からはトータルでみれば賞賛もあったし、きっちりと批判もあったはず。
そこは忘れないでおきたいポイントだと何度でも思います。
彼らを見て、DON'CRYをなくすことにした
激画団はすでに激画荘を解体し、同時に今後の激画団の進路は同じという訳ではありません。
でも、作画監督の内田くんは「恐らく数年後に集まって、また激画団として作っている気がする」と再結集の意思を覗かせてくれます。
今回の劇場上映で自分たちの実力がよく見えたからこそ、プロの現場での試行錯誤が、彼らには必要なのかもしれません。
そして、そんな激画団の姿、いや勇姿を傍で見続けてきた僕らも、自分たちの中に起こった抗いがたい変化を受け止めていました。
そして決めたことがあります。DON'CRYも、メディアとして変わる時だと。
DON'CRYは「孤独の苦しみ」と「受容の愛」という分かちがたい陰陽を描いてきたつもりです。
しかし、愛という陽をもっと伝えたくなったのです。
なにより激画団とは違い、我々はむしろプロのサークル活動的な存在ゆえの「慣れで作ってしまう」病があります。
でも、そんなのつまらないじゃん! 今本気で伝えたいことを伝えようよ! そう、彼らを見て思ってしまったのです。
ということで、DON'CRYを卒業し、新たなメディアを作ります。
来年3月くらいに、愛溢れた淡いピンク色の桜が咲く日をご期待いただければと思います。それではまた。