「いや、再開するんかーい!」
「love youとかいうの、どこ行ったんや!」
とか思っていただけたなら幸いです。元編集長の野田です。
本文はめちゃくちゃ長いので、3行で要約すると…
①色々あって、表題通りlove youではなく、DON’CRYを再開することにしました
②「救う、救われる」とか辞めます
③ドンクライは、「キズを負ったことがあるカルチャー好きが、フラットに語り合う場所」に
キズがキズナに変わる場所
覚えている方がいるかはわかりませんが、僕らはちょうど1年前、2018年4月に「大編集会議!!!」(&お花見)というイベントをやりました。
合計30人もの読者が集まり、「自分たちが読みたい企画」を考えるというイベントです 。
未だに、こんなよくわからないイベントに来てくれた30人はスゴいなと思う。どんな情報感度なんだ
さて、そんなイベントにはドンクライらしい特殊なルールがいくつかありました。
- 職業を明かしてはならない
- 本名を明かしてはならない
- 他人の好きなものを批判した人はその場で退場
この3つのルールは、参加者同士の間に上下関係や、優越感・劣等感を生み出さないように、そして、自分の好きなものを傷つけられるリスクを減らすためのものでした
好きなものを語り、面白いことを考えるには、安心感と自由が絶対に必要だと僕は信じているからです。そして、スゴいことが起きました。
参加者同士は驚くほどにフラットになり、好きなものを語ったり、自分の辛さを打ち明けても誰も批判しなかった。
その結果、17時に始まったイベントはその後の花見を含めて朝5時まで、12時間ノンストップで盛り上がり続けたのです。
しかし、その盛り上がりはパリピのようなそれでは決してなく、それぞれのキズをお互いが静かに受け入れ合い、お互いの存在が今まであったことを、暖かく祝福するような場でした。
餅男の言葉を借りれば、それは「倖せな場」であり、「あったかいプールみたい」みたいな場所。
何より、RPGのキャッチコピーのように言えば、「キズがキズナに変わる場所」であったのです
「救う、救われる」ではない場に救われた
この場は、編集長の僕にとっても最もドンクライらしく、救われた場だと自認しています。
例えば、お花見では、ストロングゼロのロング缶を5本飲んだ僕が途中から司会進行能力を失い、公園の端のトイレの前で「生きるのが辛い」と泣きながら地面をのたうってた(らしい)始末…
それでも、読者たちが僕を励まし、みんなが自分の生きづらさを語っていた場に連れ戻してくれた。
そういったことに僕は、信じられないくらいの安堵を感じていました
つまり、僕はそれまでメディアと編集部、そしてライターという「救う場を作る」人がいて、読者の方たちという「救われる」存在がいると心のどこかで思っていたのです。なんとも傲慢で、情けない話です。
でも、僕は「編集長である」という意識を失って始めて彼らとフラットになり、キズを負った一人の人間として向き合うことができた
結局、「救う、救われる」ではない場に救われていたのです
陰の人が本当の意味で陽に変わる時
そして、気づいたことがあります。ドンクライの価値とは、陰の人が本当の意味で陽に変わるところにあると。
二元論はあまり好きではないですが、話を分かりやすくするためにこの分類を使います。
そもそも、「陰」と「陽」とはなんでしょうか?
僕は「他人に興味を持ち、与えることを厭わないかどうか」だと思っています。
なので、陰の人は、「他人よりも自分の感情の変化に興味があり、他人に積極的に何かを与えるのは苦手な人」であり、対して陽の人は、「自分よりも他人に興味を持ち、与えることに抵抗がない人」だと思っています。
なので、自分の感情を常にモニタリングして、その変化を言語化することが得意な陰な人がクリエイターに多いのは納得しますし、常に自分ではない他人を励ましたり、サポートしたりする職業に、陽の人が多いのも納得できます。
そして、この分け方でいくなら、ドンクライの編集部やライター、読者の皆さんは圧倒的に「陰」寄りの方が多かった 。
ですが、あの場だけは違ったのです。
お互いキズを抱えた方が集まり、フラットに好きなものを語り合い、お互いの興味を持って信頼関係を作り、自分のキズをお互いに少しずつ晒し、相手の存在を励まし合う これはまるっきり、「陽」の行動なのです。
そして、それがとても自然に行われていた。
何より、他人にとって自分は無意味で無価値な存在ではなく、むしろ価値ある人間なのだと感じられることは、とても心地よかったのです。
ドンクライは、「キズを負ったことがあるカルチャー好きが、フラットに語り合う場所」に
これまで僕らは他者を救い、自分を救うことを標榜してきました。
でも、上に書いたことに気づいた時、そんなことは言わなくてもいいのだと気づいたのです。
たとえば、僕のことを救おうとなんか思ってないドンクライメンバー、餅男とあこさんといると、強い安心感を感じます。
それは自分の好きなものを安心して語れる、辛いことも話してもいいという度量の広さが、場に存在するから。
それは別に、好きなものを語る楽しい時も、そこにまつわる辛い過去を振り返る時も、「ただ、いてくれる」というだけでよかったということで。
そういうことができる空間を持った場は、これからも失いたくないと思ったし、きっと他の人にとっても価値ある場所だと。
だから、救いなんて標榜せず、純粋に「キズを負ったことがあるカルチャー好きが、フラットに語り合う場所」として再スタートさせたいと思いました。
批評なんか一切いらない。「あれ読んでないの?」なんてマウントしてくる人はユリイカでも読んでいればいい。
ドンクライは、ただ「自分」にとっても、「あなた」にとっても、カルチャーがとても大切なんだよね、と語り合える場所であればいいのです。
これからの体制的なこと
とはいえ、僕は記事を作るという行為にいかんせん疲れてしまったのは事実で。
だから、編集長という立場は餅男に譲り、イベントを仕切るということはあこさんに譲り、僕は2人の側を付かず離れず一緒に歩いていたいと思います。
長々と読んでくださり、ありがとうございます。イベントでお会いしたら、一緒にカルチャートークしてください。
それでは、新たなドンクライをよろしくお願いいたします。