DON'CRY -ドンクライ-

アニメやマンガ、ゲームに小説、音楽など、「作品」によって孤独から救われて生きている人のためのメディア

現実ツラいからVRの世界に憧れたけど、それで本当に幸せになれるんだろうか?

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初めまして。餅男と申します。

突然ですが、皆さんヴァーチャルライフを楽しんでいますか?

VRゲーム、VR動画、Vtuber、VRchat……。

2018年を生きる僕ら近未来オタクの周りには、ヴァーチャルリアリティ《VR》を利用したコンテンツが日々増え続けています。

冷たくて息の詰まる現実と違って、ヴァーチャルの世界は自由で楽しくて、まさに楽園のようだと感じる人も多いのではないでしょうか。

 

ネットに溢れる「VR肯定」への疑問

例えばTwitterには、肉体を捨てて完全にヴァーチャル化することへの憧れや肯定がたくさん見られるようになりました。

僕自身、VRに没入する度に「自分の体が邪魔だな…」「理想のヴァーチャル美少女アバターに早いとこコンバートしたい」と感じてしまいます。

でも、そんな思いで心が溢れそうになる度に、僕は、記憶の中のとある赤毛の少年を思い出して我に返り考えるのです。

ヴァーチャルになるって、本当に”幸せ”なのか?と。

 

ヴァーチャル内の幸せな時間と、その後の虚無

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人を楽しませるVRのコンテンツは多々あれど、僕が一番先に飛びついたのが「VRAV」 。これです。

いつも画面内にいるはずの「紗倉まな」が目の前に…!

男なら一度は憧れる夢の世界。これを知ったらもう戻れない禁断の娯楽です。

さて、ある日、寝転んでヘッドギアを被りヴァーチャルラブに勤しんでいる最中に興奮で錯乱した僕はある可能性にたどり着いたのです。

「今なら紗倉まなに触れられるのではないか?」と。

だって目の前の彼女はあまりに鮮明で、部屋の消臭剤すら彼女の匂いに感じられるんです。

何かが振りきれて「まなぁ!!」と声に出しながら体を起こした時、VR内では広いキングサイズのベッドに寝転んでいるはずの僕の足がガンッという鈍い音と共に、存在しないはずの何かにぶつかりました。

「あ“ぁ”ッーー!?」

激しい鈍痛にのうち回っていたら、今度は謎の液体が足を濡らす。

「なんぞこれ!?」と慌ててヘッドギアを外す。愛し合っていた彼女は消え去る。

そして、そこにあったのは、薄暗い部屋と、蹴飛ばしてズレたこたつ机、PCと僕のスネあたりを濡らすこぼれたお茶だけ……。

え…全ては…仮想…? 彼女の香りは消臭剤…? 

紗倉まなは、現実じゃ…ない…?

下半身裸のまま持っていたティッシュでお茶をふき取り、自分の代わりに逝ってしまったマウスに黙祷を捧げた時に、僕を襲ったえげつないほどの虚無感。

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そしてこの虚無感はVRAVを楽しんでいる時だけでなく、輝夜月や月ノ美兎のようなVtuberたちの配信などを楽しんでいる時にも襲ってくるようになりました。

楽しそうにポリゴンの体を揺らし、魅力的な笑顔と共感できる話題で僕たちを夢中にさせる彼女たちを知れば知るほどに”触れてみたい”と感じ、どうしたって触れられないという現実にやられる。

そう、現実の肉体を持っている限り、このジレンマは解消しない。

それを悟った僕は、「ヴァーチャルになりてぇ」「肉体全部データ化してぇ」と願うようになりました。

『マトリックス』とか『アクセル・ワールド』とか『楽園追放』みたいな世界に憧れたのです。

 

でも、ヴァーチャル化って本当に幸せなんだろうか?

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でも、ある時ふと疑問に思いました。

VR紗倉まなや月ノ美兎に触れたい、触れてみたいと感じる自分。

その理由は、自分以外の他者を抱き締めたり、手を繋いだりしたときの、他者の体の柔らかさや温かさを知っているからなのではないだろうか?

だからこそ、彼女たちにも求めているのではないか?と。

そう、僕は他者に触れたときの「肉体感覚」を失ってしまうのが怖いんです。

オタク同士意気投合した時に思わずしたハグの、あの硬くて熱い感覚…。

初めて好きな子(アイドル)に握手した時のあの信じられない柔らかさ…!

そういう大切な感覚を失うことって、その先にどんなメリットがあったとしても「何か寂しい」と思うのは僕だけなのでしょうか…? 

 

そして僕らは他者への関心をも失うのでは?

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加えて、肉体があったからこそ抱いた”触れたい”という気持ち(欲望)すら、僕は忘れてしまう気がするんです。

つまり、もし自分をアバター化して、理想の姿に自由にカスタマイズできた時、僕たちは他人に今ほど興味を持てるのでしょうか?

“触れたい”とか”話したい”っていう他人への欲求って、自分に足りないモノを持ってる存在への憧れだとも思うんです。コンプレックスがそうであるように。

だから、皆がそれぞれ理想のアバターになって、自分の理想もコンプレックスも全て超越したその時…

関心は自分へ行き、他者への憧れという感情は、少しずつ無くなってしまうのではないか?

そうしていつか、他者への関心そのものもなくなってしまうのではないか?

例えば、僕は理想の黒髪セミロング吊り目スレンダー美少女の体になりたい。

でも、もしそうなれたら、他人より自分ばかりを好きになっていきそう…。

つまり、ヴァーチャル化することで、他者がいるからこそ存在した感触や関心・興味を失った時、僕らは他者を必要としない。

でもそれは、完全で自己完結し、同時にとても孤独な存在なのではないか?

それに僕は今勝手にビビってるんです。

ヴァーチャルに逃げたい…。でもその未来が怖い…。でもやっぱ現実クソ辛い…。ヴァーチャルに逃げたい…。でも…。

こんな堂々巡りに入る度、僕はあるアニメの主人公のことを思い出します。

 

ゼーガペインは現実を肯定した

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(出典:Amazon/ バンダイビジュアル)

ヴァーチャル化と聞いて僕が思い出すもの、それは『ゼーガペイン』というアニメ。

2006年に放送されたサンライズ製作のSFロボットアニメ。

このアニメの肝となるのが、人類は既にガルズオルムという敵の組織によって全滅し、一部の人間が世界各地に作られたサーバーの中で、データ体として生き延びながら戦っているという設定です。

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主人公のソゴル・キョウは物語序盤で自分がデータ体であることを知り、何度も絶望しかけます。

しかも、キョウは現実世界には恐ろしい敵が蔓延っていて、このサーバーの中にいれば安全で幸福な毎日が続くことにも気づいている。それでも、彼は戦い続けるのです。

あるエピソードで、キョウに対してラスボス的存在がこう言います。

(ヴァーチャルは)地獄ではない。”神の国”だ。

肉体に縛られず永遠の命を持った我々は、観測者からすると神と同じではないかね?

元々生身の人間も量子の集合体だ。量子データに置き換えても、同じ生命活動を営むことはできる。 

しかし、サーバーで生き続ける提案に対してのキョウのアンサーがこちら。

サーバーで無限の時を生きるのもアリだろうけど、自分には本物がやけに眩しかった。

この本物の世界とガチンコで触れ合いたかった。そのためなら限りある命でもいい。 

ヴァーチャルを否定するわけではない。

でも、それがもたらす痛みや辛さの無い幸福よりも、本物の人や自然、世界そのものとの繋がりを選ぶ。

これが強者の意見だと考えたこともありました。彼は主人公で強い人だからこう思えるのだ、と。

でも、どんな絶望的な状況からでも諦めず這いつくばってきた彼の眩しさが心に焼き付いて消えないのです。

ヴァーチャルという世界に逃げ込みそうになる度に、僕はキョウに「諦めんじゃねえ!」と背中をブッ叩かれている気さえする。

僕がヴァーチャル化に対してどこか疑う気持ちがあるのは、こんな眩しい彼を知っているからだと思います。

 

けど、ビビりの僕は結局…

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(レディ・プレイヤー1 公式サイトより転載)

僕はヴァーチャルになりたいという願望を否定したいわけではありません。

僕自身、現実クソキツいし友達は少ないしモテないしで、早くヴァーチャル化したいと願うことの方が多いです。

でも同時に、完全なヴァーチャル体になった時に失うかもしれないモノに、寂しさも感じる。

あのスピルバーグも、この現実とヴァーチャルをテーマにした『レディプレイヤー1』という映画を撮り、この現実とVRとの関係についての問いを僕たちに投げかけてきました。

現実はクソ? ヴァーチャルは幻? どっちが幸せ?

とはいえ、僕もキョウやスピルバーグみたいに、キチンと「こっちが正しい!」と言葉にすることができていません。

でも、ゼーガや映画の世界ほどVR技術がまだ進んでいない、VR過渡期の今。

もしかしたら現実とヴァーチャルは、互いに足りない幸せを補完し合う関係でいられるのかもしれない。

ヘッドギアを付ければ、ヴァーチャルを楽しめて、外せば誰かに触れられる。

ヴァーチャルに憧れ切ることのできない僕を、”にわか”と言いたくなる人もいるでしょう。

でも、僕は世界で一番ゼーガペインというアニメが好きだから、現実に焦がれるキョウのエールも、無視することができない。

 

皆さんは、現実とヴァーチャルにどんな想いを持っていますか? よければ意見を聞かせてください。

それでは。

 

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