DON'CRY -ドンクライ-

アニメやマンガ、ゲームに小説、音楽など、「作品」によって孤独から救われて生きている人のためのメディア

リア充隠れオタになってオタクを馬鹿にしていたら心が死にかけた話

初めまして。ピクシブ株式会社が運用するpixivisionというメディアで編集長をしています、長谷憲(ながたに ただし/@menchisp)と申します。

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(pixivision)

オタクカルチャー好きになった話を、と言われているのですが、最初から謝らなきゃいけないかもしれないんです。オタクカルチャーを自分なりに理解し、居場所を見つけた時、僕は自らに踏み絵を行ってしまっていたんです。

 

幼少期から孤独に慣れ始めた

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(出典:amazon / ©講談社

1995年頃コミックボンボンで連載されていた『王ドロボウJING』に出会った時、かなりの衝撃だったんです。主人公のジンと相棒キールが様々なお宝を盗む物語に惚れてしまったんです。
子供が目を輝かせて見るような演出や、ちょっと理解できないけどなんだかカッコイイ言い回しをしているんだろうな……という言葉遊び。
さらに、すこしエッチな展開が見え隠れして、全体的な「厨二感」、ちょっとポップだけどエッジのある「デザイン」に、完全に惚れ惚れしていました

幼稚園時代は『機動戦士ガンダム』のような、渋めのデザインにドハマリしていた僕には『王ドロボウJING』は新しい世界との出会いに近いものがありました。
結果として、この出会いが僕の孤独を加速させたのかもしれません。当時周りの友人たちは「小学○年生」を卒業し「コロコロコミック」を読み始め、周りと同じ話題やごっこ遊びで交流を深める中、僕はというと腕に手をあててキール・ロワイヤルッ!」なんて叫んでみたって誰も相手はしてくれませんでした。

でも、その頃はその「誰も知らない、こんなステキな作品を僕だけが知っている」ということが「カッコイイ」と感じていたんです。まるで、『王ドロボウJING』の孤高の主人公ジンのように。
そんな感じで、孤独というものに無意識下に慣れてきてしまった自分がいるんです。

 

オタク趣味を共有することを辞めた。孤独が加速した中学時代

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(出典:amazon / ©ブロッコリー

中学生を迎える頃には愛読書は「月刊少年ガンガン」に。
この頃には僅かながら作品を共有できる友人も何人かいました。好きな作品は「ブギーポップは笑わない」シリーズや、「デ・ジ・キャラット」。あとメールアドレスは「miyukichi@〜〜」でした。

学校ではというと、僕は昔から身体を動かすことが好きで、中学ではバスケ部に所属してそれなりに頑張ってて、いわゆるスクールカーストでは上の方にいたんだと思います。性格もちょっと騒がしい振る舞いだったので、多少目立ってたと思います。

でも、上に書いたように、普通にオタクだったし「まもって守護月天!」のシャオリンが好きすぎて、いつか自分のもとにも…と妄想を続ける日々でした。

だから、もちろん、話題は一切噛み合わないんですよね。
みんなは少年ジャンプ読んでいるし、ドラマの話とか、恋愛の話とかしていました。

でも、既に孤独を知っている僕に取っては大した事じゃなかったです。自分の話はしないで、少しだけみんなの話についていけるように調べればいいだけなのであって、楽しい中学校生活を送っていたんだと思います。

そんな何もなさそうな普通の中学時代で、更に孤独を加速させる出来事が起きたんです。
それは高橋くん(仮称)との出会いです。
ある時、同じバスケ部に所属した転校生の高橋君が練習に来なかった日が続きます。どうやら図書室でずっと本を読んでいるみたいで、後ほど判明するのですが、彼は「スレイヤーズ」にドハマリしてしまい、寝ても覚めても「スレイヤーズ」漬けになっていたようです。

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(出典:amazon / ©KADOKAWA / 富士見書房

僕と高橋くんは同じバスケ部だけど、友達と呼べる仲じゃなかった。

けれど、僕も少しでも「同じ話題」で盛り上がれる友人がいたら良いなとは思っていたんです。楽しいものは一人でも多く共有できたらいいと思って、思い切って話しかけてみました。

長谷「何読んでるの?」

高橋「……。」

長谷「スレイヤーズっしょ? 俺も読んでるよ!」

高橋「……。」

長谷「……黄昏よりも暗きモノ……血の流れよりも赤きモノ……」

高橋「……。」

僕はただ共感したいだけだったのですが、結果として、全く相手にしてもらえませんでした。

というのも、彼には「スレイヤーズ」を共感して楽しむ友人が校内に既にいたようなんです。
まるで肩透かしを食らうような感覚でした。
既に孤独を知っていた僕の態度は「孤独から救ってやるよ」的な様子に見えてしまったのかもしれません。

作品の楽しみ方は人それぞれだし、一緒に楽しむ人を選ぶのは自由。高橋くんが「スレイヤーズ」を楽しむ上で、僕という存在は邪魔だったのかもしれません。ここで僕が無理やり話しかけ続けて、もっと関係が悪くなっても意味がないし、僕も高橋くんとは「バスケ部」だけで繋がっていればいいと判断しました。

そして、この日から僕はオタク趣味を他人と共有することを辞めました。それが僕の選んだオタクカルチャーとの生き方だったのです。

 

オタク趣味を隠し、「リア充隠れオタ」と化した高校生活

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時系列が少し戻ってしまいますが、当時インターネットにもガッツリハマってました。
元々ゲームも大好きだった自分は『ぷよぷよ』でおなじみの株式会社コンパイルが発刊していた「Disc Station」を通じて知り合った仲間たちとメーリングリストで日々日記の交換やネット対戦をしたり、「ハンゲーム」のコミュニティに所属してました。まだお会いしたことはありませんが今でも連絡を取るときもあります。チャットをしながら夜更かしもしました。

ええ…そうなんです。「オタク趣味を他人と共有することを辞めました!」とか言っておきながらインターネットではしっかり友達作って、ワイワイやってたんです。
そして、高校でもそれは変わらず…。

なので、高校生活でみんながオタクカルチャーの話をしている中には飛び込まない。
家に帰ればその話が存分にできるので、高校では他の友人とワイワイやっていければ全く問題なかったんです。

昼間はくだらない話で盛り上がって、夜はアニメやゲームの話でディスプレイと会話する。こう振り返るとものすごい充実していたのかもしれませんね。

オタクカルチャーに関しては「孤独」を生み出すモノだけど、どうやって共存していくか、ということに一つの解ができたんです。

と、上手くいってると思っていた高校生活が、オタクカルチャーではなく自分自身を孤独に突き落としていたことに気がつくのは意外と早かったかもしれません。
昼間はちょいワルな仲間たちと、夜はインターネットと、昼と夜の顔を持っていた僕はある日、カルチャーの擦れに気がつくのです。

上田くん「なぁ、長谷。あいつらマジキモくない? なんかアニメの女の子話してるんだよね。」

長谷「あはは、そうかな。彼らが話してる作品はkeyっつっていわゆる泣きゲーなんだけど、シナリオが本当に素晴らしくてね…」

なんて話ができるわけもなく、「そうだね。そう思うよ」と心にも思ってないことを僕は言ってしまうんです。

ここで否定することで彼らから嫌われてしまうかもしれない、距離を置かれてちゃうんじゃないかなという怖さがあったんです。
しょうもないことで笑って、放課後も一緒に帰って遊んで、仲間思いで、面白い奴らと一緒に居たかったんです。

 

オタクカルチャーに「領空侵犯」されて、心が無になった

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(出典:amazon / ©ランティス

そこから共有することを辞めた自分が、オタクカルチャーに対して「否定」をする場面が増えてきてしまいました。自ら踏み絵をし続けるような、その生活は大学に入学して、大きく環境が変化した辺りで更にこじれてきてしまうのです。

入学後仲良くなった4人がいたんですが、深夜アニメ『らき☆すた』を見たらしく、激しく「否定」をしていたんです。

「長谷もそう思うだろ?」という問いには「へぇ、僕は見てないからわからないけど、興味ないかな。と答えておきましたが、シングルも5枚くらい買ったし、DVDも全巻予約済み。もう既に隠すことに慣れていたので、感情はほぼ無の状態だったと思います。

少し話は変わりますが、実は僕、同時期に某アニメショップでバイトを始めており、世の中の流れを見ながら作品を売る楽しさにも目覚めていました。
ニコニコ動画の再生数を見ながら旧譜を入荷したり、販売コーナーを変更したり、見せ方を買えるだけで売上が上がる状況が楽しくて楽しくて…。

そんな感じで楽しくオタクカルチャーに触れていると…来てしまったんですよ、大学の友人の4人が!!

まさか彼らがこちら側に領空侵犯してくるとは思ってもいませんでした。
突然の状況に理解も追いつかず、レジ内にいた僕は「とにかく隠れなきゃ!」と咄嗟に思いその場に座り込みました。多分、僕の顔は真っ赤だったと思います。

他のフロアに早く行ってくれ…と願いながらレジ下の整理を15分ほどしていました。 時折、顔を上げては彼らの様子を確認してたのですが、帰る様子もなく、楽しんでいるようにも思えました。

確かに当時、かなりの盛り上がりを魅せていたオタクカルチャーだし、彼らもノリで入ってきたんだろうなと思ってました。

が、気がつくと、彼らはレジにいました。否定をしていたはずの深夜アニメ「らき☆すた」のDVDの予約券を右手に、左手にポイントカードを持って。

正直、オタクカルチャーを外に出さない孤独を続けてきた僕にとっては、彼らの行動は訳がわからなかったんです。
なぜあんなにも否定したカルチャーに対して、こんなに手のひら返しのように寄り添ってるんだろう…と。

そして、いろいろ考えた後、意を決して聞いてみたんです。
でも、返ってきた言葉は期待したものとは違い、4人の回答は「予約もしてないし、もう見てない」とのことでした。
その時、胸にナイフを突き立てられるような感覚も、ハンマーで頭を殴られたような衝撃も、はらわたが煮えくり返る思いも、僕の中にはありませんでした。

ただ自分でもびっくりなんですが、もう彼らの顔も声も思い出せないのです。

 

アニソンを通じて仲良くなれたことがきっかけで変わることができた

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(出典:amazon / ©Victor)

気がつけば彼らとは行動を共にしなくなりました。でもなんだかオタクカルチャーに対して自分の中で吹っ切れた部分があったんです。

やっぱり、好きなモノを「嫌い」というのは辛かったことにやっと、やっと気がついたんです。

ここでまた昔の話に戻りますが、僕は音楽が大好きなんです。演奏することも聞くことも、歌うことも。
大学時代は軽音楽部に所属して、音楽を楽しむ日々だったのですが、ものすごく心地が良かった。 音楽を通じての会話ならオタクカルチャーにハマってくれる友人がたくさんいたからです。

当時自分の携帯電話の着信音にしてた「ROUND TABLE」の楽曲があったんですが、軽音の先輩がその曲を何度かたまたま聞いている内にすごく気に入ったらしく、僕に詳細を聞いてきたんです。
そこから「ROUND TABLE」にハマってくれて、そこからfeat Ninoさんの楽曲のアニメはほとんど見てくれました。(Groovin' Magicとか最高ですよね! ホント好き!New Worldとかさ。ほんと素晴らしすぎるからこの話をまた別でさせてください!!!!)

(Groovin' Magic / ROUND TABLE featuring Nino

生まれて初めて、人や環境ではなく、作品を単純に楽しんでくれる人たちに出会うことができた。
この日から、自分が作り上げてきたオタクカルチャーに対する「孤独」を感じないようになりました。

 

本当に好きなものを好きだと叫べば、孤独はなくなる

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(出典:amazon / ©早川書房

ただ悩みが残ったんです。

ここまで連ねていて、このカルチャーが本当に好きなのかわからなくなってきてしまっていたんです。
ちなみに、まだこの答えは出ていません。
ここが本当に自分の居場所なのか。そもそも居場所なのか。それによって「救われた自分」と言ってしまっていいのか。まさに今迷走状態だったりします。

どういうことかというと、例えばですが、忙しさを理由にアニメを見る本数が減ったり、ゲームをする時間、ライブに行く時間、自分で創作をする時間が減ったりしている現状があるのですが、それを果たして「好き」と呼んで良いか分からなくなっているからです。

本当に、自分が考えれば考えるほど、オタクカルチャーが好きなのかわからない、まるで恋人と些細なことで喧嘩したような状況だったりします。 それはいつになったら解決できるのかというと、またしばらく先のことになるでしょう。

ただひとつ言えることは、隠していてもそんなに良いことはありませんでした。

もしも同じようにオタクカルチャー好きを隠し、苦しんでいる人がいるなら一度叫んでみるのも良いかもしれません。

僕にとってのそれは、新卒で入社した時の自己紹介で「めちゃくちゃオタクです! よろしくお願いいたします!」と叫ぶことでした。
その後は「アニメ好き」でいじられたような気がしましたが、「孤独」を感じたことはありませんでした。だからこそ…

1年、1ヶ月、1分でも1秒でも「好き」になった感情を忘れないで、大切にしてください!

書いた人:長谷憲(pixivision編集長)
1987年6月24日生まれ。株式会社メディアジーンにてGIZMODO JAPAN 、KOTAKU JAPANの編集を担当。その後 animatetimesにて副編集長を努め、動画番組「かやのみ」や、さくらインターネット 20周年記念アニメーション「さくらインターネット 新生」などをプロデュース。現在はpixivが運営するメディア「pixivision」の編集長を務めている。