「自分ってイケてないなぁ……」
今、またはかつての学校生活の中で、このような思いを抱いたことのある人は多いのではないでしょうか。
なんとなく、クラスの中で力を持つイケてる人と、そうではないイケてない人がわかれていて、発言権も違ってくる……これを「スクールカースト」なんて呼ぶこともあります。
そこで今回は、このクラス内ヒエラルキーをテーマにした作品、もり子さんの『さよなら、ハイスクール』の魅力を紹介させてください。
この作品は学校が舞台ですが、学生・社会人に限らず、「今このヒエラルキーが自分の価値ではない」と教えてくれる。そんな、あらゆる人間関係に悩んでいる人に刺さる物語なんです。
カースト上位女子と付き合うことでスクールカーストをぶっ壊す
本作の主人公、朝倉はスクールカーストでいうと下層に位置している男子。
作品はホームルームで文化祭実行委員を選出するところから始まります。面倒くさがる人が多くて、なかなか係が決まりそうもない、なんだかいやーな状況。
すると、スクールカースト上位層の男女4人グループが、朝倉をその場のノリで推薦していきます。
「帰宅部じゃん」
ありますよね~……こういう状況。圧力がかけられているようでなかなか断りにくいし、周りの人も別に擁護してくれない。
勿論、イケてない男子の朝倉には反抗するという選択肢はありません。
結局、「あっ じゃあ やりまーす」と愛想笑いを浮かべてそのまま係を引き受けることになる。
しかし……
「壊してやる」
その日の放課後、朝倉はカーストをぶっ壊す計画を、自分と同じく目立たない女子の高田に宣言します。高田はそんなもの無理だとあきれ顔。
しかし、彼には秘策があるのです。その計画の方法とは……
「カースト上位の女子と付き合う!」
無理だろ!と思わずツッコミたくなる発想ですが、その翌日。
なんと教室では、朝倉と、スクールカースト上位層の女子である伊藤マユミ(表紙の女子)とのカップル成立が話題となっています。
当然、クラス内は動揺に包まれます。「なんで伊藤さんが朝倉君と?」
でも実は、伊藤マユミも現状の学校生活に不満をもっている一人でした。
スクールカースト上位としての学校生活に飽き飽きしていて、朝倉の告白を「面白そう」という理由で快諾します。
彼女は、面白そうであることが行動の動機となることが多く、つまらない現状を打破できそうな展開の兆しがあると、ついつい目をキラキラさせて興奮するちょっと変な子だったのです。
そんな2人は、クラス内の空気をぶっ壊すために、さまざまな計画を実行していきます。
イケてない男子朝倉が、イケてる女子と付き合うことで、クラスを支配する空気を破壊していく。ちょっと不思議な学級崩壊ストーリーが始まります。
学校が社会の縮図なわけがない
物語が進むと、朝倉と伊藤マユミが共謀してクラスの空気をぶっ壊す計画を進めるようになります。
その中で、クラス内のヒエラルキーの状況を確認していくのですが、クラスの中にはカーストに所属していない男子がいることが判明します。
その少年は川村という常に一人でいて一匹狼という感じの男子。
彼は音楽をやっていて、レコード会社からスカウトがきているため、中退することが決まっています。
ある日、川村は、2人のヒエラルキー崩壊計画を知り、カーストに違和感を抱いていたことから、加担することを決めます。
そこで、朝倉・伊藤マユミカップルを良く思っていない担任を激昂させ、謹慎処分に追い込むことを計画。川村は担任の授業中に挑発行為を行います。
しかし、訳あって伊藤マユミに出し抜かれた結果、なんと川村自身も自宅謹慎の罰を受けることになってしまいます。
その復讐として川村は、朝倉と伊藤マユミの計画を全校放送で暴露し、彼らの計画を破綻させます。
その上で、彼は学園祭のライブで訴えるのです。
「いいか!学校は社会の縮図なんかじゃねえ!!この世界はもっと果てしなく広いんだ!!」
文化祭までクラスの様子をスクールカーストの外から観察してきた川村。
彼からすると、イケてる・イケてない、格好いい・恰好悪いなんてものは「くだらない」のです。
そもそも彼がカーストを破壊したいのは、恨みや妬みからではない。
そんな価値観によって、人が本来持つ魅力が、くだらない役割意識によって潰され、苦しむことがおかしい。そう彼は言い切るのです。
スクールカーストに所属せず、音楽業界で評価される彼だからこそ、教室や学校を、あくまで小さな箱として捉えることができているのかもしれません。
大人になっても付きまとう序列で人の価値は決まらない
自分のクラスの立場をそのまま自分自身の価値観のように思い込んで苦しむことってよくあることだと感じます。
なんといっても一日の大半を過ごすのが教室ですし、その中での自分の立ち位置や待遇を重大に感じてしまうのは当然だからです。
でも、それが社会に出てからもその人の価値になる訳ではない。
例えば、アニメや漫画が好きだからという理由で、クラスでオタクだとバカにされていた人でも、その知識や情熱が評価されるクリエイター職などでは強力な武器になることもある。
他人からの評価軸や求められるものなんて、環境ごとに異なるのです。
さらに広い視点でみれば、会社での序列が低いからといって、当然、その人の価値が低い訳でもない。それはあくまで会社での評価軸であって、学校と同じく小さな箱でしかないのです。
だから、小さな集団での自分への評価を絶対視するのではなく、もっと、自由にやっていけたらいいのかなって思うのです。その集団での評価が必ずしも自分自身の姿と重なる訳じゃないんだぞ、って。
カースト上位に取り入ることは幸せなのか?
さらにいえば、カーストのようなヒエラルキーづけによって、生きにくさを感じる時、カースト上位層に取り入ることは幸せなのでしょうか?
例えば作中で朝倉はカースト上位者の伊藤マユミと付き合うことで、他のカースト上位者とつるむようになります。
でも、イベントごとが大好きな彼らと一緒にいる時、朝倉自身が居心地悪そうにしている場面も描かれています。
現実でも、無理に他の人に取り入ってまでカーストを少しでも上位に昇りつめようとすることがあるかもしれません。
例えば、本当は飲み会が大嫌いだけど、会社で出世するために全ての飲み会になるべく出席するとか。
そんな自身を客観視できていたり、楽しめる要素があるならいいと思うのですが、「ここで評価されないとダメだ…!」とカーストを気にしすぎるあまり、自分の趣味や興味関心を押し込んでしまうのはもったいないように感じるのです。
自分の特性がそのヒエラルキーでは評価されないだけで、環境が変わることで自分への評価がガラっと変わることもあるのですから。
さて、『さよなら、ハイスクール』は、学校のクラスという人間模様を俯瞰してみることで、人間が生きる社会そのもののクラス(階層)も俯瞰することができるような作品です。
学校や、会社、社会における序列に苦しんでいる人に、でも、そんなものは所詮その人の価値の一つでしかないで教えてくれる。それが深く刺さってくる。
だからこそ、人間関係の細やかな空気の読み合いにわずらわしさを感じている人には、ぜひ読んでほしい1冊なのです。
『さよならハイスクール』は試し読みもできるようなので、ご興味もってくださった方はぜひ読んでみてくださいね。
書いた人:千鳥あゆむ