DON'CRY -ドンクライ-

アニメやマンガ、ゲームに小説、音楽など、「作品」によって孤独から救われて生きている人のためのメディア

「いじられキャラは孤独なピエロ。」言いたいことも言えないこの世界で

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こんにちは。編集部の稲田ズイキ @andymizukiです。

僕は「言いたいことが言えない」ときに、どうしようもなく孤独を感じてしまいます。本当の自分を隠して人と接していると、周りに馴染めているように見えて「居場所がない」と感じてしまう。そんな瞬間は誰でも一度はあるのではないでしょうか?

今回は自己紹介がてら、なぜ孤独のメディア“DON’CRY”を立ち上げたのかを、僕自身が体験した孤独と重ね合わせて語っていこうと思います。

 

自己肯定感が生み出した絶望

孤独というのは、別に「友人がいない」とか「家族がいない」ことを示す言葉ではない。周りを人に囲まれながらも、孤独を感じることはもちろんある。

「自分は世界一不幸な男」、本気でそう悩んでいた時期がある。自分の今の苦しみは誰にも理解できない。こんなにひどい目に遭っているのは世界中で僕だけ。相談もできず、たった一人で苦しみを抱え続けていた、そんな日々はなによりも「孤独」だった。

小学生、中学生時代のこと。僕は恐ろしいほどに自己肯定感が強かった。将来僕は何にでもなれて、何でもできるんだと思い込んでいた。成績表に5は一つもなく、3ばかりの凡才。それでも、将来はエジソンみたいな「伝記の人」になれるんだとなぜか漠然とした確信を持っていた。

「あれ、俺、何もできないぞ・・・」

現実に気づきはじめたのは高校に入学してからのこと。思考が大人の階段を登っていき、お花畑いっぱいの自分の世界からいざ外の世界へ飛び出してみると、突きつけられたのは自分の「市場価値」の低さだった。

周りと比較すると、僕はこれといって勉強もできなかった。運動音痴で、歌も音痴だし。方向音痴。味覚も音痴だし、トータルで4音痴。取り柄だった真面目さも、高校でちょっとぐれてしまって、先生に怒られることも増えてしまった。綺麗に書けていたはずの字も綺麗に書けなくなってしまって。美少年だとは思ってなかったが、お気に入りだった自分のルックスもニキビが増えてきてアトピーも悪化して・・・。

外を歩く度に、周りの視線が気になった。「ハハハハ」とどこかで笑い声がしたら、自分のことが笑われているような感覚があった。 「俺って何のために生きているの?」 高校2年生の1年間は1人になればいつもそのことばかり考えていた。

なんでもできるはずなのに、何もできない。長所が一つもない。現実が壁となって、自己肯定感が作り出した僕の理想の前に立ちはだかった。こんなに苦しい思いをするために、命を継続させる意味なんてあるの?とすら思っていた。

 

いじられキャラは孤独なピエロだ。

このような苦しみを誰かと共有することは簡単ではなかった。というのも、僕の立ち位置がいじられキャラだったからだ。「やめろやw」「やりすぎやろw」、この二言だけで1日の全てのコミュニケーションを成立させることができたくらいに、それはもういじられキャラだった。

僕の抱える苦しみを知りもせず、休み時間になればわらわらとクラスメイトは集まってくる。僕の目からは「早く昨日テレビで観た芸人のネタをやりてぇ」とハァハァ涎を垂らしているハイエナにしか見えなかった。

「ちょ、稲田もしかしてキレてんの?w」とクラスメイトが言う。

悩んでいた時期だった。できるはずの自分ができない。俺はこんなはずじゃなかった。やりきれない気持ち、消えてしまいたい気持ちが自分の心の中で渦巻いていた。でも、それをクラスメイトの前で表現することができなかった。

「キレてないっすよw」

そう言いながらブチギレていた。自分に。感情を押し殺して長州小力を演じるしかない自分に。息苦しさを感じていた。

いじられキャラの自分に居場所はどこにもなかった。友達の前では常に自分は道化を気取らないといけない。ヘラヘラ笑いながら「やめろやw」と言うたびに、死にたくなった。埋まらない理想と現実の隙間。イケメンでなんでも器用にこなせる木村拓哉をテレビで見るたびにいつもブチ切れていた。

心の中では、感情を他人に打ち明けることができない自分も、他人を妬み嫉んでいる自分も大嫌いだったに違いない。でも、「辛い」という気持ちだけが頭の中にいっぱいになって、そんなことを考える余裕はなかった。

 

木村拓哉にできなくて自分にはできる唯一のこと

そんなとき、唯一苦しみを癒してくれたのはアニメだった。アニメを見ているときだけが、大嫌いな自分の存在を忘れさせてくれた。中でも、心惹かれたのがロボットアニメの世界。ロボットが登場する壮大な世界観は僕をどこか遠くの世界に連れて行ってくれた。

「この目の前にある現実が嘘で、アニメの世界が現実だったらいいのに。」現実から逃げようと貪るようにアニメを見ていた僕は、いつのまにかドラえもんの夢幻三剣士みたいな願望を持つようになっていた。自分でもっと自分を夢中にさせる物語を作りたい、創作への憧れがその時に芽生え始めた。

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(出典:amazonより)
「木村拓哉には装甲騎兵ボトムズは書けないんじゃないのか?」

この気づきが僕の人生を変えた。孤独な戦士の心の闇を描いた作品。こういう繊細な心の機微は苦労したことのない木村拓哉には絶対に書けない、自分が嫌すぎてゲロを吐くほど涙を流していた者にしか書くことができない。そう信じた。

気づいた時にはアニメの脚本を自らの手で書いていた。やりきれなさ、閉塞感、孤独の痛み、全てをカタルシスで吹き飛ばす作品を夢中になって書いた。処女作の名は「絶対正義リボルガン」。いつ見ても、火傷しそうなアッツいタイトルだ。血と汗と涙と火薬の匂いがする。

こういうロボットアニメ作品を量産し、僕は京都アニメーションという制作会社が主催しているシナリオコンクールに送りつけた。京都アニメーションといえば日常系のアニメを作っている会社。そこにゴリゴリのロボットアニメ脚本をぶつけ続けたのだ。

結果、残念ながら一つも入賞することはなかった。でも、脚本を執筆する前とする後で、明らかに僕は違っていた。自分が今まで外に出すことのできなかった苦しい気持ちを、曲がりなりにも外に向けて表現することができたのだ。僕が今まで味わってきた血反吐を吐きそうな痛い感情には意味があった、とまでは言えないが、自分の気持ちの吐き場所を見つけたという感覚があった。

 

DON’CRYでやりたいこと

以上の話を踏まえて、僕はDON’CRYに二つの思いを託したい。

一つは、僕がロボットアニメを見て孤独の痛みを癒すことができたように、誰かの痛みを少しでも忘れさせることのできるコンテンツを配信したいということ。没頭、共感、なんでもいいと思う。今も現在進行形で荒み続けている自分の心に届くようなコンテンツを作り続けたい

もう一つは、僕が脚本の執筆を孤独の痛みの吐き場所にすることができたように、抱えた気持ちを吐き出すことのできるようなコミュニティづくりをしたいということ。そして、苦しんだ人たちがその苦しみを糧にHEROになれるようなコミュニティになればもっといい。泥水をすすった誰かの経験は、今泥水をすすっている誰かを救うと僕は思っている。苦しんだ人たちが同じように苦しんでいる誰かを救えるような、そんな多くのHEROが誕生するメディアを目指したい。


簡単ですが、これが僕の孤独体験とDON’CRYに対しての想いです。他の編集部員は僕とは全く別の思いをDON’CRYに寄せているかもしれません。よければそちらの方も読んで見てください。これからDON’CRYをなにとぞ、よろしくお願いします。

(ちなみに、文中で木村拓哉さんを槍玉にあげていますが、これは当時の何も知らなかった自分の気持ちをそのまま書いたもので、その後、木村拓哉さんは誰よりも努力家な方であることを知りましたし、SMAPの解散ニュースの中で垣間見た彼の姿は、孤独に耐える何よりものHEROだと思いました。ごめんなさい。)

 

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