『少年アシベ』をご存知だろうか。
むかーしアニメが大流行し、最近リメイクされて今もNHKで放送中の超名作マンガだ。
ゆるーいタッチが特徴のこのマンガ、ただの「癒し系マンガ」だというイメージを持たれているかもしれない。
まぁ癒しであることは間違いないよ。
なんたってゴマちゃんのかわいさの破壊力は強烈だからだ。
(amazonより転載)
僕はゴマちゃんが欲しすぎて、口周りの産毛の感じがゴマちゃんぽかった友達(男)に「ゴマ」というアダ名をつけて、なんとか満たされないゴマちゃん欲を満たそうとしていたくらいだ。
でも、そいつはゴマちゃんみたくキュンキュン鳴かないし、なんて言っても口周りが青い。かわいいわけがなかった。
世間的には「ゴマちゃんかわいい」で認識されているこの作品、ただの単純な癒し系マンガなんかじゃないなどではない。
実はかなりブラックで、人間の嫌なところを突いた笑いが多々ちりばめられた、クセのある作品なのだ。
というのも、登場キャラたちが、意思の疎通を計れないどうしようもないヤツであることが本当に多いからだ。
ブサイク&卑屈で、女性の髪を引っ張って匂いを嗅いだりと、とことん常識のないやつ。
やたらとエラそうなチビだけど、アルバイトすら上手くこなせないやつ。
露出狂。
などなど…。
世の中には千差万別たくさんのマンガがあるが、ここまでどうしようもないヤツらばかりのマンガは二つとてないだろう。
しかも、その「どうしようもなさ」も現実にありそうなレベルの「どうしようもなさ」なのだ。
「役立たずと罵られて、最低と人に言われて、要領よく演技できず、愛想笑いもつくれない」
ブルーハーツの「ロクデナシ」みたいな感じのヤツらがうなるほど出てくる。ある意味、アウトレイジよりもヤバい。
だけど、わかって欲しいのが、色々歪んでるけど、この作品はちゃんと癒し系ギャグマンガとしても成立しているというところ。
キテレツなやつらが、なんやかんやで社会に馴染み、ギリギリのバランスでほのぼのした笑いを生み出す。
森下裕美にしかつくれない絶妙な空気感がある。
これが本当にスゴイ!
コンプレックスの塊で、自分のことを社会不適合者だと思っていた僕にとって、このマンガは本当に癒しになった。
僕は小さい頃からアトピーで苦しんでいて、「みんなできるだけ汚い方法で死ねばいいのに」とか毎日思ってた。
でも『少年アシベ』を読んでると、「どうしようもないヤツだって、なんだかんだ生きてるんだなぁ」って、ふと芽生える感情がある。
そう、苦しみとかコンプレックスを抱えた奴らにこそ、このマンガは本当の魅力を発揮する!
コンプレックスを吹き飛ばす
(amazonより転載)
主人公のアシベはひたすら声がデカい少年だ。
声の大きさだけで人を気絶させるくらい。
「主人公の特徴:声デカイ」って、この時点でぶっ飛んでるのはお察しの通り。
この主人公アシベが、コンプレックスまみれの僕を何度も救ってくれた。
作中に、「ペッペッペ・ソーランアレマ」という名前の女性が登場する。
「変な名前www」と皆に笑われていた彼女は、自分の名前にコンプレックスを持っていた。
だけど、アシベにとってはそんなことは何も関係ない。
大声で、笑顔で、彼女の名前を呼び続ける。
「ペッペッペさん!!!!!!!!」
そんな姿をみて、ぼくはそれを美しいと思わずにはいられなかった。
正直なところ、声がデカイやつはキライだ。
なんかDQNっぽい。静かにしとけや。
僕みたいなやつはそんな風に思うにちがいない。
だけど、アシベは違う。
ゴチャゴチャしたもの全てを吹き飛ばす、底抜けに明るくて純粋な大声。
寄り添うでもなく、励ますでもなく、もちろんバカにするでもなく、ただただ純真無垢な大声で、人の特徴を言うのだ。
「ハゲ!」 とか 「チビ!」 とか 「ブツブツがある!」 とか、 こういった言葉は、「瞳が茶色なんだね」という言葉みたいに、全部人の特徴にすぎない。
でも普通、上記のような言葉は悪口として認識される。
それは言う人に、悪意があるからだ。
以前に乙武さんが、 「町で子供に『なんで手足がないの?』と話しかけられ、その子の親がすぐに謝ってきた」 というエピソードを語っていたことがあった。
乙武さんは「謝らないで欲しい。普通に子供の質問に答えたかった。」 と言っていた。
その子供にとって、乙武さんの手足がないということは、髪が長いとか短いみたいな、1つの特徴にすぎないのだ。
もしアシベなら、その特徴を、なんの偏見も躊躇もなく大声で叫ぶだろう。
それは決して悪口ではない。
むしろそれは、これ以上ないくらい力強い承認なのだ。
名前や見た目といった特徴が、他の人と比べて「変」だったとき、その「変」を知らないふりされて生きている状態は本当に辛い。「無言の気遣い」みたいなやつ。
居心地の悪さを感じていた僕は、いっそのこと「気遣いなんていらないから大声で叫んで欲しい」と思うことがあった。
「アトピーなんだね!!!」
マンガを読んでいると脳内のアシベは何度も僕に大声でそう言ってくれる。
アトピーで自分の見た目に苦しんでいた僕は、まさにこのアシベの大声に救われていた。
そう言ってもらったら、僕はニコニコしながら、 「そうだよ!」 とだけ答える。
ただの妄想。
だけど僕にとってその妄想は、そのとき聴いていたどんな音楽や詩よりも、僕を救ってくれた。
みんなもコンプレックスに思っていることがあったら、脳内でアシベに大声で叫んでもらうといい。
少しは自分を認められるようになるかもしれない。
全てを赦す、「博愛固め」
(amazonより転載)
少年アシベを語る上で外せないのが、アシベの親友、スガオくんだ。
彼が生み出した技こそ、あの「博愛固め」だ。
博愛固めとは、喧嘩をふっかけてきた相手に思いっきり抱きついて、なんやかんやで戦意を喪失させるという恐るべき技である。
これをあの、スガオくんが生み出したってのがまた泣ける。
スガオくんは、一言も喋らないキャラクターだ。
そしてほとんど表情を変えることがない。
唯一表情がわかりやすく変わるときは、泣くときだけだ。
巷ではアスペだのなんだの言われたりもしている。
そんな彼が、編み出したのだ。
殴りかかってくる相手を抱きしめる技を。
自分の敵であっても、そいつのことを全力で愛するという手段を。
残念ながら、スガオくんがこの技を生み出すまでに至った経緯は作中で描かれていない。
でも、孤独を地でいく彼が「敵を倒すために敵を愛す」技を考えつくまでに、どれだけの思いがあったのか。
その空白のストーリーを想像したとき、誰もが胸を熱くしてしまうにちがいない。
不器用な生き方しかできない。
ひょうきんに振舞うこともできなければ、無難なコミュニケーションすらとれない。
だけどそんな俺にだってこれだけの愛がある!
「まずは愛してみよう。」
彼は、そう思ったんじゃないだろうか。
その決断の美しさには、もはや言葉が出ない。
「汝の敵を愛せよ」の言葉通りだ。
この博愛固めを見たとき、アシベに通底するテーマは、人間賛歌なのではないかと思わずにはいられなかった。
僕はなんの取り柄もないし、僕から愛されたってその人は全く嬉しくないかもしれない。
それでも僕は、人を抱きしめたいと、スガオくんを見て思った。
誰にだってどんなポンコツにだって、人を愛する権利はあるのだ!
おわりに
このマンガは人間の嫌なところを隠さない。
でも、そんな欠けたピースがあるからこそ、人間は面白いのだと、そんなことを温かい笑いとともに教えてくれる。
コンプレックスや悩みに苦しんでいるとき、こうしたギャグマンガが、ふと気持ちを楽にしてくれる時がある。 ゆるーいように見えて、実は奥底には誰かを救うヒントがたくさん散りばめられているのだ。
だから、マンガってやめられない。せっかくの3連休なのに、一日中布団にくるまってマンガを読んでしまうのもわけないよね。
(文:三宅 編集:テラいなだ)