アニメ新企画が決定した「この素晴らしい世界に祝福を!(以下このすば)」は、テンポのいいコメディ作品だ。
しかし私は、「このすば」はコメディ作品ではあるが、同時に、そこに内包された佐藤カズマの孤独を強く感じている。
なぜなら、このすばには「シェアハウス」という機能が存在するからだ。この機能の存在こそが、逆に佐藤カズマの孤独を浮き彫りにしているのである。
「このすば」はシェアハウスだ!
「シェアハウス」といえば、TV番組『テラスハウス』をイメージする人は多いのではないだろうか?
しかし、そもそもシェアハウスとは、『テラスハウス』のような人間観察の収容所ではない。シェアハウスとは、もともと「補い合い」をメリットとする生活拠点だ。
生活費という経済的な負担を補うことが土台にあり、そこに加えて精神的な補い合いも存在している。趣味的なものが同じだったり、目標が同一だったり、親友同士だったりなどだ。このように、金銭的な負担を分かち合うことを前提とした、精神的補い合いも、シェアハウスが成立する条件として存在するのである。
しかし、逆に言えば、この共同体が男女で構成されていた場合、恋愛関係は危険だ。
2人の関係性が発展してしまえば、2人は2人で同棲という道を選んでいく。そうなると、2人分の欠員の経済的補完を考えなければいけない。募集を出すのか、友人に声をかけるのか? どの道、時間もお金もかかる。
だからといって、他の2人が決まるまで、カップルになった2人を残していれば、他のメンバーとカップルが仲良くした時、トラブルになる。
『テラスハウス』と真逆で、恋愛はシェアハウスにとって、悩みの種なのだ。
では、ここで「このすば」を見てみよう。
主人公の佐藤カズマはアクア、めぐみん、ダクネスという3人の仲間たちと物語中盤で同じ屋根の下に住むことになる。馬小屋に住んでいたカズマとアクアに、ダクネスとめぐみんが加わって一つの共同体を作っていくのだ。
そして、ここにシェアハウスともいえる構造が存在する。その証拠として、男女比1:3という一見するとハーレムな場所で、前述のようにカズマは色恋やフラグに基本的に飛び込んでいかない。どのキャラクターに対しても、手を出さないのだ。
同様に、女子たちも同じ意識を持っている。第9話でカズマが「夢」だと思い込み、仲間のダクネスと一緒に風呂に入るシーンがある。ここでカズマがダクネスに卑猥な要求をした際、ダクネスはこう怒るのである。
「私に手を出してもいいのか!? アクアとめぐみんがどう思う!?」
このセリフはまさに、共同体としてのバランスを意識している。
そう、もしカズマとダクネスに手を出せば、シェアハウスという共同体は崩壊に向かってしまう。他の女子2人は、危険なカズマと生活していられないということに間違いなくなるからだ。
勿論、ダクネスも実際満更でもない表情をしていたが、もし2人が恋仲になっても、それは崩壊へと向かう。前述のように2人の世界を作ってしまうし、ダクネス以外の女子がカズマと仲良くすれば、それはダクネスの嫉妬から生じるトラブルに繋がるからだ。
ダクネスのこの発言を踏まえると、「このすば」におけるカズマたちのシェアハウスとは、経済的理由の上の、精神的な部分に大きな比重が置かれていることがわかる。彼らにとってのシェアハウスの機能として重要なものは、お互いの心の拠り所なのだろう。
何がカズマをシェアハウスに駆り立てたのか
孤独な不登校高校生
カズマは異世界に来る前、日本の田舎で引きこもりをしていた。
家にこもってはネットゲームをし、アニメの第1話でもゲームのために三日間徹夜している。また自身は高校生であるが、学校にも行かずゲームばかりをし、引きこもっていると同時に不登校児となっていることがわかる。
そして、うっかり死んでしまい転生した佐藤カズマは、記憶と肉体を引き継いだまま、異世界で人生をやり直すことを選び、生活が始まっていく。
ここで興味深いのが、カズマが特殊能力を得るなど、お決まりの主人公アドバンテージがないにも関わらず、異世界での生活を自ら選んだことだ。選択肢としては天国へ行くか、赤ん坊として転生することも選べたが、彼は敢えて安易な道を選ばなかった。
では何故、選ばれたわけでも、望まれたわけでもないカズマが、自ら望んで異世界で危険を犯すことを決めたのか?
きっと、あまりに自分の人生がつまらなく、胸躍る冒険がしたかったのではないだろうか。ネトゲやネットのある世界を選ばなかったことからも、そこでは手に入らない「何か」を得たかったのではないだろうか。そして、「リアルはクソゲー」と割り切った彼だからこそ、過去の自分を強く否定して、今までの「世界」から逃げ出したかったのではないだうか。
何故、異世界シェアハウスを彼は選んだのか?
(出典:amazon / ©MAGES./5pb.)
しかし、ご存知の通り、異世界での生活は中々に苦労だらけだった。期待して仲間にしたアクアは「駄女神」だし、寝る場所は馬小屋で冬は凍死しそうになるし、仕事もカッコイイ勇者的活躍より最初は肉体労働だし、仲間に加わるのは癖しかない奴らだし…。
しかし、そんな彼も異世界シェアハウスを愛していた。
その証拠に、1期7話でうっかり死んでしまったカズマが、死んだ先の女神から裕福な家庭への転生を約束されるのに、また元の異世界に戻ることを選ぶのだ。
一度、経験した異世界は、表面上はカズマが忌み嫌うものだ。ポンコツな仲間たちと、明日の生活のために危険を冒す。ことさら自分が描いていたようなキラキラした異世界生活ではなかった。
しかしながら、カズマは後者を選ぶ。
これは「涼宮ハルヒの消失」で描かれたキョンの選択に近いものを感じる。例え巻き込まれた苦労の身であっても、やり直したかった現実より、愉快で退屈しない世界と仲間をカズマは再び選んだ。カズマにとっては、仲間という運命共同体を初めて体験する、求めていた興奮と安心が異世界にはあったのだろう。
1人ではない安心感や、誰かと共にある心地よさは、カズマが異世界に来る前では得ていなかった価値観だ。半ばニートだった彼にとっては、金銀財宝、地位や、名誉よりも、失い難い「仲間」という共同体を得たことこそが、異世界に来た真価だったのではないだろうか。
だから、彼は何があっても過程はどうあれ異世界の仲間を最優先にし、関係を断ち切らないよう立ち回りをする。
それは主人公だから、という補正ではなく、彼自身が「この共同体を維持したい」、「コイツらと一緒にいたい」という望みがあるからだろう。そのために仲間との恋愛フラグも回収しないし、関係性を発展させない。
そして、このことが、人との繋がりに価値を見出す佐藤カズマ最大の魅力であると同時に、如何にそれまでの彼が孤独であったかを浮き彫りにさせることにも繋がっているのだ。
この素晴らしい世界の「祝福」とは?
(出典:amazon / ©日本コロムビア)
私はどうしたって、カズマが他者と関係性を築き、仲間や村の友人に囲まれて酒場で飲み明かしたりすることに、憧れの気持ちを抱いてしまうことがある。その感情は、現実にそういうシーンを尻目に見て馬鹿にしながらも、モヤっと生まれる羨望にどこか似ている気がする。
そして、カズマはそれを異世界で叶えた主人公なのだ。
「この素晴らしい世界に祝福を!」とは、主人公のカズマが口にする最大の賛辞であり、そこには皮肉も笑いもない。カズマにとって転生した場所は異世界ではなく、「素晴らしき世界」であり、もはや転生する前の世界こそが異世界なのだ。
「誰か」と一緒に酸いも甘いも分かち合えあえる幸せをつかんだカズマは、異世界で生き続けることを選んでいる。
ならば、それをもたらした世界は、祝福たり得るのではないだろうか。
そして、認めがたいし、悔しいけれど、私は佐藤カズマの得た「祝福」を、心のどこかで望んでいるのかもしれない。
(文:カエデ@kaede06 編集:ノダショー@nodasyo03)