エヴァンゲリオン:碇シンジ。今もなお2chやツイッターを開けば「観ているとイライラする」「ウジウジしててブン殴りたくなる」と罵られ続けている「アニメ史上最もヘタレな主人公」である。
それに対して、グレンラガン:シモン。彼もまたシンジ同様、親を幼い頃に失くし、周りからは臭いだのなんだの言われた14歳だ。
しかし、シモンは回を追うごとにみるみる成長し、最終的には銀河で受け身を取り、銀河を投げる(比喩ではない)ほどのスケールの大きい男に成長した「アニメ史上最も壮大な成長をした主人公」でもある。
果たして、この二人の命運を分けたものとは一体なんだったのだろうか?
シンジとシモンの違い
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それはズバリ「ミサトとカミナの違い」なのではないか、というのが僕の仮説だ。ミサトとカミナの二人には、主人公の一番近くにいた人という共通点がある。
ミサトさんは、理解者が一人もいないシンジくんの唯一の救いになるはずだった。NERVの直属の上長であり、シンジくんの居候先でもある。親の愛情に飢えるシンジくんにとっては母親の代わりになるはずだった人とも言える。
でも、エヴァを見たことがある人なら誰もが気付くだろう。そんなミサトさん、どうしようもないほどのクズなのである。
たまに見せるビジネスライクな一面。シンジくんを道具として見てしまっているところ。旧劇場版 25話における”大人のキス”など。(余談だけど、ミサトさんの舌打ちって、めっちゃグサってくるよね…)まさに劇中でシンジくんを苦しめてきた張本人である。
対して、シモンのそばにいたのがカミナだ。
「お前のドリルで天を衝け!」
そう言ってカミナは、地下を掘っていたシモンのドリルを空へ向けさせた。シモンが迷ったときにはいつだってぶん殴って目を覚ませてくれた。シモンが一人立ちした後も、思い出すのはカミナの言葉だった。
「俺を誰だと思ってやがる!!」
自信の持てなかったシモンが、こんな啖呵を切るようになるまで成長できたのは他の誰でもない、カミナのおかげだったのである。
では、ここでやっと本題。
もし、ミサトさんの代わりに、カミナがシンジくんの側にいたら……。シンジくんはどうなっていたのだろうか。
孤独に苦しむことも、人類を補完することもなかったんじゃないか? そんな、「もしも」の視点から碇シンジ救済計画を考えてみた。
もしもミサトさんの代わりがカミナだったら
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選択させるミサトと、拠り所をつくるカミナ
早速だが思い出してほしいのは、エヴァ第壱話のシーンだ。
突如NERVから召集されたシンジくんが、見たこともない巨大ロボの前で、父親を含む大人たち数名から「乗れ」と脅迫される屈指のサイコパスシーン。そのときミサトさんはこう言った。
「シンジ君なんのためにここにきたの? だめよ逃げちゃ、何よりも自分から」
第壱話の時点でこの破壊力だ。
まず、勝手に呼び出しといて、「なんのためにきたの?」はあまりにもひどい。何よりも、ミサトさんのタチの悪いのが、「乗れ」とか「戦え」とは、執拗に言わないというところである。あくまで自分で決めさせるのだ。
第四話の「乗る?乗らないの?」とか、旧劇場版25話の「ここから逃げるのか、エヴァーのところに行くのかどっちかにしなさい。このままだと何もせずただ死ぬだけよ」など、自分のしてほしい選択肢が見え見えなのに、相手に選択を委ねるのである。
僕も同じ自分に自信のないタチだからシンジくんの気持ちがわかるが、これはめちゃくちゃ辛い。自分に確たる自信がないのに、「どうするか自分で決めろ」なんて言われても、何もできないに決まってる。失敗したときが怖いし、どちらかを選ぶ勇気なんて持てないからだ。
しかも、「自分から逃げるな」なんて言われても、そもそも「自分って何だ?」なのだ。
まだ自分たるものも確立されていないのに、そんな自問をしても、自らを苦しめてしまうだけ。実際に、シンジくんはミサトさんのこの言葉を強迫観念にしてしまい、「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ……」の迷言を生んでしまったのはみなさんもご存知のことだろう。
では、こんなとき、カミナならシンジくんに対してどのような言葉をかけるだろうか。
まずは、
「シンジ、お前が乗るんだよ!」
これだろう。
それはグレンラガンの1話で、ラガンに乗るようにシモンを促すシーンと同様だ。ミサトさんとはちがい、明確にすべきことを示した上で、きっとカミナはこう続けて言う。
「いいかシンジ、自分を信じるな!俺を信じろ!お前を信じる俺を信じろ!
そう、この言葉こそ、1話で敵のガンメンに立ち向かえなかったシモンの心に火をつけた言葉である。意思決定なんて、自分に自信のあるやつだけができることだ。確たる自分がない人は、誰かからの信頼を重ねて自分にも価値があることに少しずつ気づいていく。
「お前を信じる俺を信じろ!」の言葉はまさに、自分以外に頼るものがなく、その自分の価値も不確かではなかったシモンやシンジくんの拠り所を築くものである。意思決定ばかりを求められ続けているシンジくんが、「自分を信じるな!」なんて言葉をかけられたならば、かなり気が楽になったんじゃないだろうか。
もし、NERVにカミナのような兄貴肌の人物がいれば……とシンジくんの不幸を憐れむばかりだ。このように1話の時点で、シンジとシモンは大きく道を違えていることがわかる。
同情するミサトと、承認するカミナ
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母親を亡くし、父親からも十分な愛情をもらえていないシンジくんに対し、ミサトさんは親の代わりとなろうとする。
例えば、第弍話の、ミサトの家で遠慮しているシンジくんに「ここはあなたのお家なのよ」と叱咤するシーンや、そのあとの「楽しいでしょ?こうして人と話して食事するの?」という言葉からその姿勢は窺われる。
押し付けがましいのである、一言でいうなら。
他人の感情を読むことに慣れているシンジくんにとって、ミサトさんのこの優しさは「わざとらしい」以外の何物でもない。
しかし、ミサトさんがシンジくんの家庭状況に気を遣っているのには、実は理由がある。というのも、ミサトさんには父親と良好な関係を築けないまま、死別してしまった過去があったからだった。つまり、孤独なシンジくんに対して自分を重ね合わせ、同情しているのである。
しかし、「同族意識からの同情」というのは非常に不安定な感情だ。ミサトさんはこの感情をベースに家族を演じようとしたがために、シンジくんを何度も傷つけてきている。
例えば、第拾弐話において、他人の顔を伺ってばかりのシンジに対して同族嫌悪を覚えてか、「他人の顔ばかり気にしている」と冷徹な言葉のボディーブローを食らわし、第七話では仕事で忙しいだろうから進路相談に来なくていいと気遣うシンジに対し、「いいのいいのこれも仕事だから^^」と言ってみせた。ときには失意のシンジくんをセックスで慰めようとしたり、もう無茶苦茶なのである。
ミサトさんの努力は認めるが、「救ってあげたい」という同情の気持ちに、多少の上から目線が生じているのは否めない。したがって、二人の間に完全な信頼関係が出来上がることはなかった。
では、そんなセンシティブなシンジくんに対して、カミナはどのように接するのだろうか。きっとカミナはこう言うだろう。
「シンジ、俺はお前の家族にはなってやれねぇ。でもな、相棒にはなれる。」
人の言葉を信用していないシンジくんは、死んだ目をしながら「相棒ってなに?」と訊くにちがいない。それに対して、きっとカミナはこう続ける。
「てめぇを信じるからお前を信じる、お前を信じられるからてめぇを信じられる。おんなじなんだ、おれにとっちゃ。それがつまり、相棒なんだよ。」
唸るほどの名言。これは3話からの引用だ。決してカミナはシモンのことを「救ってあげよう」だなんて思ってはいなかった。あくまで対等な関係のまま、カミナもシモンのことをリスペクトしていたのだ。シンジくんも、上から目線の優しさなんかより、対等な関係からの承認が欲しかったのではないだろうか。
カミナはシモンに救われた経験を真正面から語る。
「忘れたのか!俺の無茶に中身をくれたのはお前なんだ。俺の進めに中身をくれたのはお前なんだよ!(26話)」
それに対し、ミサトさんの褒め方は、
「あなたは人に褒められる立派なことをしたのよ。胸を張って良いわ。(第弐話)」
ちがう、ちがうんだよミサトさん!シンジくんが、言ってもらいたかったのはそういうことじゃなくて、もっと「ありがとう。」とか、ミサトさんから、直接認めてもらいたかったんだよ!
カミナの放つ「相棒」という言葉の中に、たとえ子供だろうが、自分がすごいと思った相手をリスペクトする姿勢が表れている。もし目の前で「相棒」だなんて言われたら、シンジくんは恥ずかしがるだろうか。しかし、そんな恥ずかしいなんていう道理を蹴飛ばす爆発力が、カミナの言葉の中にはあるのも事実だ。
自分で探させるミサトと、存在を肯定するカミナ
(出典:amazon / ©キングレコード)
ミサトとカミナ、両者の死に際のシーンを比較してみる。旧劇場版「Air」のワンシーンを思い出してほしい。
ミサトさんはサードインパクトを食い止めるために、エヴァシリーズを倒すよう指示するも、シンジくんは「もう誰も傷つけたくない」と言い張り、初号機に乗ろうとしない。ミサトさんが銃弾を浴びた脇腹を押さえながら、死に際で繰り出した言葉がこれだ。
「いいシンジくん…もう一度エヴァに乗ってけりを付けなさい。 エヴァに乗っていた自分に…何のためにここに来たのか… 何のためにここにいるのか…今の自分の答えを見つけなさい… そして、けりをつけたら、必ず戻ってくるのよ… 」
この言葉はエヴァの中でも、屈指の名言であることは間違いない。しかし、ミサトさんは依然として「答えを自分で見つける」ことを求める。
たしかに「答えを見つける」ことも大切なことだ。
だけど、シンジくんが最期の言葉として聞きたかったのはそういう言葉じゃなかったはずだ。曲がりなりにも、シンジくんにとってミサトさんはずっと生活を共にしてきた存在だ。その人が目の前で死のうとしているのに、またもや、繰り出されるのは「自問せよ」との言葉。
だからちがう、ちがうんだってミサトさん・・・シンジくんが欲しかったのは、そんな言葉じゃなくて・・・!
「いいか、シンジ。忘れんな。おまえを信じろ。おれが信じるおまえでもない。おまえが信じる俺でもない。おまえが信じる、おまえを信じろ。」
これだ。これなのだ。グレンラガン8話、カミナ死に際の名言。この言葉は、ただ「自分を信じろ」と言っているわけではない。
「お前が信じる俺を信じろ」→「俺が信じるお前を信じろ」→「お前が信じるお前を信じろ」と一続きになっている言葉なのだ。この言葉の変遷の中に、シモンを一人前の男として存在を肯定するカミナの気持ちの全てが込められている。
物語が終盤になっても依然として、他者が怖い、自分の殻を破れないシンジくんが、もしカミナに死に際「自分が信じる自分を信じろ」と言われていたら……。存在を強く肯定されていたら……。
「僕はここにいてよかったんだ」
そう思えたんじゃないだろうか。
このシーンのあと、シンジくんは他者と生きるのか、他者も自分も存在しない世界で生きるのか、選択を余儀なくされる。もしも、カミナがミサトさんの代わりにいたら、シンジくんはあんなに苦しまずに、人類を補完することもなく、自分が自分として存在し、他者が他者として存在する世界を最初から選択できていたのではないだろうか。
おわりに
「もしもから考える碇シンジ救済計画」、いかがだったろうか。
もしもミサトさんの代わりにカミナがいたら、シンジくんはシモンのように自己肯定感のある主人公になっていたかもしれない。
「私が死んでも代わりはいるもの」と言う綾波を「綾波ぃぃぃぃ!!歯ぁ食いしばれぇぇ!!!!」とぶん殴っていたシンジくんが見られたのかもしれない。
でも、「アニメ史上最もヘタレな主人公」と言われている方のシンジくんの最後の選択も思い出してほしい。エゴイスティックな大人たちに囲まれ、頼れる人が自分の他に誰もおらず、他者の恐怖に苦しみ続けたシンジくんが、人類補完計画を否定するのだ。つまり、自分と他者の存在がある世界を選ぶのである。
勇気を振り絞って他人と向き合おうと決心したのだ。「おめでとう」じゃ足りない、よくがんばったシンジ!本当によくがんばった!
それでも、最初からシンジくんの隣に理解者がいれば、こんなに苦しまなくてもよかったのにと、悔やむばかりだ。
他にも例えば、もし、ミサトの代わりにTOKIOがいれば、「スイカを栽培する土から作りましょう!」とか言いだす男になったかもしれない。
「#もしもから考える碇シンジ救済計画」、よかったらみなさんも考えてみてください。
書いた人:稲田ズイキ
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