こんにちは。アイドルは人生の背骨、ドンクライ編集部の稲田ズイキです。
先日、僕のとあるツイートがたくさんシェアされた。
僧侶兼ドルオタとして、アイドルが亡くなったファンの方の追悼を行う @arisakaemi さんの"おっきゃん追悼ライブ"を観てきた。会場の全員が亡くなった方に向けてケチャをコールを捧げた。お葬式をあげられない孤独な人を地下アイドルが、推しが救う。こんな素敵なこと、この世にありますか…… pic.twitter.com/TxNWPSYpVr
— 稲田ズイキ(煩悩クリエイター) (@andymizuki) 2018年4月11日
アイドル”有坂愛海”さんが、孤独死したファン”おっきゃん”さんのために「追悼ライブ」を開催したのである。
これから書くのは、アイドル史で未来永劫語り継がれるであろう「奇跡」の現場を、一人のアイドルオタクの目線から語った”黙示録”。
アイドルオタクはもちろんのこと、そうじゃない人にも、その熱さがきっと伝わるはずだ。
※有坂さんは自身で曲を作り、10年以上歌を歌い続けてきたシンガーソングライターなので二人の関係は、「アーティストとファン」が的確な言葉だが、追悼ライブ中の有坂さんはおっきゃんさんのことを愛を込めて「オタク」と呼んでいらっしゃった。今回は、その関係性にリスペクトを込めて「アイドルとオタク」と呼ばせていただく。
アイドルがオタクの「追悼」をする とは?
「アイドルがオタクの追悼ライブを開催する」とは一体どういうことなのか?
その経緯を以下にまとめた。(ご存知の方は飛ばしてください)
(1)有坂さんの10年来のファンであり、実施イベントのほとんどに参加していたおっきゃんさんのSNSの更新が止まり、ライブにも顔を出さなくなる
(2)不安に思った有坂さんが、ファンレターや仲の良かったオタク友達から情報を得て、住所を突き詰める
(3)有坂さんが自宅を訪ねてみたところ、隣人の人からおっきゃんさんが孤独死したことを知る
(4)お葬式もない、お墓もない、おっきゃんさんと最期に出会い、そして最期のお別れをするべく、おっきゃさんにゆかりのあるアーティストを呼んで「追悼ライブ」を企画した
(詳細については有坂さんのブログをご覧ください。)
— 有坂愛海@4/22フランス行き大会決勝! (@arisakaemi) 2018年3月19日
その行動力、オタクへの揺るぎない愛に言葉を失う。
会場にはおっきゃんさんの似顔絵の前に大量のサイリウムが供えられ、
おっきゃんさんを偲ぶ言葉とともにお花が並び、
ライブ現場で交流していたオタク仲間が会場に集まった。
熱狂と寂寥が交互に押し寄せるこのライブは、間違いなく「伝説の現場」であった。
ライブを見ている最中、何度もサイリウムが滲んで見えた。
こらえられなくなってしまったのは、そこにあまりにも美しすぎるアイドルとオタクの関係があったからである。
「アイドルがオタクを救う。」
僕らオタクが夢に見たようなロマンが、そこには現実として存在したのだ。
現場が”一つ”になる瞬間
アイドルの現場は「戦場」であることが少なくない。
推しからの「レス」をもらうために、誰よりも高くジャンプする。
中には、推しを自分の恋人だとガチで思い込んでいるオタクもいる。
アイドルからの承認をめぐる「俺が俺が」のエゴのぶつけ合い。
そんな様々な感情がひしめくアイドル現場で、この夜だけは、会場が”一つ”になったのだ。
会場の全員が「ケチャ」をアイドルにではなく、祭壇のおっきゃんに捧げた。
「超絶カワイイおっきゃーん」
会場のオタクたちは、曲の合間のコールで、アイドルではなくオタクの名前を叫んだ。
『アイドルの現場でオタクの名前を叫んだオタク』
これだけで、一冊の小説を書き上げられるだけの物語がある。
間違いなくアイドル史上初めての出来事だ。
そんなオタクの姿を見ながら僕は泣いていた。
泣きながらケチャを、泣きながらおっきゃんコールを、彼に捧げていた。
現場が一つになっていく感覚に、涙が止まらなかったのだ。
生まれてきてくれて 生きてくれてありがとう
そんな歌詞が会場に響いたときには、胸が引き裂かれるように痛くなった。
誰もがその歌詞に、おっきゃんさんを重ねただろう。
普段なら「この歌は自分のために歌ってくれている」と思ってしまうのが、オタク心というもの。
でも、この日だけは、全オタクが「これはおっきゃんのための歌だ」と認識していた。
そして、涙をこらえて歌うアイドルと、盟友であるおっきゃんに、全精力を注いだのだ。
オタクの心が、アイドルの心が、”一つ”になっていた。
この現場の様子を形容するのに、「美しい」以外の言葉が存在しないのが悔しい。
感情が言語を追い越し、魂が身体を突き抜けて、その美しい現象に「ありがとう」と叫んでいた。
僕もアイドルオタクのはしくれだから分かる。
アイドルの現場だけが「生きている」と思える気持ちが。
毎日アイドルに生き延びさせてもらえている気持ちが。
生を実感できる唯一の場所で最期を見届けられることのありがたさを、オタクならば誰でもわかるはずだ。
だからこそ、その日、オタクはおっきゃんさんのために集まり、心を一つにできたのかもしれない。
「アイドルとオタクは同じ時間を生きている」という実感
僕たちアイドルオタクは常に「死」と隣り合わせで生きている。
アイドルには必ず「卒業」や「引退」が存在するからだ。
その瞬間からアイドルとオタクの関係性は事実上「無」になってしまうのである。
「もう二度と推しに会えない」
あの悲しみを、絶望を、何と表現すればいいのだろうか。
推しとの時間が止まる。
推しがだんだんと”思い出”になっていく。
だから、あの日、推しに会えなかった”時間”を、死ぬほど後悔する。
なんであの時、僕はお金がないからという理由だけでイベントに行かなかったのか。
なんでただ台風が来てるだけなのに、ライブ遠征をキャンセルしたのか。
「会いたいのに、もう会えない」のである。
そんな「死」がいずれ来ることをオタクなら誰もが知っている。
だからこそ、オタクはアイドルと過ごす一瞬一瞬を噛み締めて生きている。
アイドルオタクは、“いなくなること”の悲しみ、”いてくれること”のありがたさを誰よりも理解しているのである。
こんな感情、オタクからアイドルへ一方通行で流れているものなのだと僕は思っていた。
しかし、今回の追悼ライブで気づいたのは、アイドルもオタクと同じ”痛み”を感じているということだ。
有坂さんはブログの中で、このように語っていた。
「動員が一人減るだけ」なんてとてもそんなことじゃない喪失感を
いつもフロアにいるのにいないことに
心に穴が開いてしまった気持ちのまま今もいます。
CD、2枚出たよ。2枚も、出たんだよ。
きっと「いいじゃん!」ってたくさん買って配ってくれたと思うのに。じゃあ、お墓に持っていくとか場所も分からないで
どうやって届けるの。
空に歌えば、届いてるとか
天国に届くとか、
頑張ってるのを見守ってくれてるとか
正直ひとつも心に響かない。だから「死ぬ」ってそういうことだよね。
だって「会えない」から
アイドルもオタクと一緒だった。
「二度と会えない」ことの悲しみに心を痛めていたのだ。
「オタクのことをこれほどまでに思ってくれているのか」
僕はその事実だけで胸が熱くなった。
もちろん、それは有坂さんとおっきゃんさんの間に固い信頼関係があったからに他ならない。
しかし、有坂さんのおっきゃんさんへの思いをブログで読んで、おこがましいかもしれないが、それが自分のことのように嬉しかった。
「僕に推しの”時間”が流れているように、推しにも僕の”時間”が少なからず流れている。」
そんな当たり前のようで、実感のできなかった事実を、有坂さんとおっきゃんさんの関係から感じたのだ。
思い返せば、僕が大好きなモーニング娘。の道重さゆみは、卒業ライブでこう語っていた。
みんなに出会えてよかったです。さゆみのことを見つけてくれて、出会ってくれてありがとう。モーニング娘。になって、みなさんと出会えたから、道重さゆみが存在する意味があったと思いました。さゆみのファンの人たちが、ほかの誰でもない……みんなでよかった。
応援してくれたことでもない。
CDを買ってくれたことでもない。
出会えたことを、オタクに感謝してくれていた。
僕たちが彼女の人生に存在していたことに感謝してくれていた。
それこそが道重さゆみの存在する意味なのだと言ってくれていた。
今ならこの言葉の意味を理解することができる。
オタクとして、こんなに嬉しい言葉はないのかもしれない。
僕たちオタクはアイドルの人生にちゃんと存在するのだ。
僕たちがアイドルと過ごしている時間は、僕たちだけではなく、アイドルとも共有できているのだ。
だから、僕たちは、今すぐに、1秒でも長く、推しに会うべきなんだと思った。
どちらかが消えないうちに、思い出になる前に。
僕らが会いに行かない限り、時間を共有することはできない。
当たり前だけど、これが今回、僕がたどり着いた圧倒的な真理だ。
アイドルに出会えて嬉しくないオタクなんて存在しない
ところで、今回の追悼ライブが話題として広がっていく中で、「おっきゃんさんは一人で静かに死にたかったかもしれないのにな…」という意見がいくつか見受けられた。
こうしたコメントを受けてか、有坂さんも「追悼ライブなんてされたくないって人はいるだろう」と複雑な心中を語っていた。
自分なら
— 有坂愛海@4/22フランス行き大会決勝! (@arisakaemi) 2018年4月12日
さゆみが家に来てくれて
さゆみがライブ開いてくれたら
恐縮だけど嬉しいけどな
アーティストさんや仲間が来てくれたり嬉しい
自分の知らない所まで広がったりは少し怖い気もするけど
一人で死ぬよりずっといい
感性は一人ひとり違うから
追悼ライブなんてされたくないって人はいるだろう
でも、こういうコメントする人は、知らないんだと思う。
アイドルとオタクの間で共有されている時間を。感情を。熱量を。
ましてや、10年以上、有坂さんのほとんどのイベントに通い詰めたおっきゃんさんである。
おっきゃんさんのことは詳しく存じ上げないが、アイドルオタクの一人として感情を勝手に代弁させていただきたい。
嬉しくないわけがないだろ!!!!!!!!!
オタクが現場で自分のために”一つ”になってくれて
最期の最期に、自分の大好きだった人に会えることが
嬉しくないわけなんかないだろ!!!!!!!!!(涙)
そのありがたさのわからない人に、オタクの心を一生語ってほしくなんかない。
時間の止まっていた時計が、推しとの最期の出会いで動き始めるんだ。
有坂さんに笑顔で「ありがとう」と言うに決まっているじゃないか。
アイドルに出会えて嬉しくないオタクなんて存在しない。
たしかに、アイドルとオタクは家族でもなければ、友達でもない。
お互いに本名も知らなければ、住所も知らない。
だけど、一人ぼっちのとき、明日を生きるのがどうしようもなく辛いとき、アイドルはいつだって僕たちのそばにいてくれた。
何よりも心の支えになってくれるのはアイドルだった。
勇気を、パワーを、優しさを、強さを、自信を、安心感を、そして、愛をくれた。
僕たちは知っている。
ダンスレッスンで流した汗を、一枚のCDに込められた願いを、その歌詞のワンフレーズに込めたこだわりを。
知らないこともあるけど、分かる。
僕らにとってアイドルとは、推しとは、一つのコンテンツなんかじゃない。
人生そのものだ。
だから、大好きなアイドルと最期に出会えて、推しが自分のために涙を流してくれて、嬉しくないわけなんかないということを、僕はどうしても伝えたい。
勝手な主観だし、おっきゃんさんの気持ちはもう確かめようがないけど、でも、
アイドルに人生を救われてきた人間の一人としてこれが伝えられないと、僕の人生は嘘になってしまうから、なんの意味もなくなってしまうから。
だから、絶対におっきゃんさんは喜んでいるって、僕は胸を張って言いたい。
追悼ライブを終えて
アイドルの現場が今までどれだけ自分に命を吹き込んでくれていたのか。
推しがいてくれることのありがたさ。
自分が1人のアイドルを推すということの意義と責任。
今すぐに、1秒でも長く、推しに会うべきだということ。
「アイドルは僕らを救う」ということ。
今回の追悼ライブは、自身のオタク活動を考え直すきっかけになったと思う。
個人的な思いを、オタクの総意のように書いてしまった点は反省している。
オタクごとにアイドルを応援するスタンスは様々である。
でも、一つだけ共通していえるのは、
「いつだってアイドルに感謝を忘れちゃいけない」ということだろう。
そんな当たり前のことを再認識させてくれた、有坂愛海さんとおっきゃんさんには感謝の気持ちが尽きない。
それでは。また次の記事で。
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