DON'CRY -ドンクライ-

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なぜ、僕らは80年代やバブル、昭和に惹かれてしまうのか?

こんにちは、編集長のノダショーです。

以前こんなツイートをしたところ、数少ない友人から凄く共感の声がありました。

なので、今回の記事で、もう少し具体的掘り下げてみようと思います。

そもそも、このツイートはtwitterを中心に大人気になったバブリーダンスにドハマリしたことから始まりました。


【TDC】登美丘高校ダンス部 2017 バブリーダンス

これを数少ない友人に教えて回っていたんです。

でも、そうしたら、「バブルか…そういえば、これ観たことある? 俺のとっておきなんだけど…」と、みんながバブルや80年代、昭和に関する作品を薦めてくる。

例えば、『スローモーションをもう一度』、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』、『ぼくのなつやすみ』、『コクリコ坂』など。

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(出典:amazon / ©小学館

実際、僕もその殆どを見たことあって大好きな作品たちだったので、それを聴いた僕も彼らも、みな興奮気味に「この時代に、何か惹かれてちゃうんだよな」と共感しつつ、なのにどこか痛ましく「俺らの時代には、もうありえないけど…」と語っていたんです。

そこではたと気付けば、彼らは殆どドンクライの読者か関わっている人間なので、もしかしたら読者の方全般も、その性質を多かれ少なかれもっているのでは…?と。

でも、だとしたら、その理由はなんなのだろう? 言い換えれば、孤独を抱えたオタクな人は、なぜ80年代やバブル、昭和にどこか惹かれてしまうのだろうか?と。

その結論が上のツイートなのです。
つまり、「みんな一緒で、みんな同じ理想を共有し、みんな同じ方向性に向かっている」ことに強烈に惹かれ、それが失われてしまったからこそ、憧れを呼び、同時に手に入らない痛みと共に語らないといけないのではないか?

さて、今回はそんな僕らの精神性と、育った環境をもう少し具体的に振り返りながら描いてみようと思います。

 

理想の崩壊と共に生まれた20代後半~30代前半

ドンクライは関わる人間も、読者の方も、20代後半~30代前半が一番多いのですが、そんな僕らは、バブル崩壊と共に生まれたと言っても過言じゃない。

では、そんなバブルの崩壊とはなんだったのかといえば、言うまでも無く「理想の崩壊」。

頑張れば、上にいける、一生懸命勉強してそれなりの大学に入れれば、それなりの会社に入れる、幸せになれる。そんな一般市民の夢が崩れ去った時代に僕らは産声を上げました。

NO1からオンリー1への教育は迷宮への入り口

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(出典:amazon / ©ビクターエンタテインメント

ご存知の通り、その世代がゆとり教育まっただ中で、小学校~中学校の間にSMAPの『世界に一つだけの花』が大ヒット。

小学校の先生はいつもこんなことを言っていました。

先生がこんなことを言うのもよくないけど、昔みたいにナンバーワンをめざし続けても、成功できるとは限らない時代です。

だったら、自分の好きなことを突き詰めた方が、失敗しても幸せになれる可能性が高い。

だから、個性と夢を大事にしなさい。

似た言葉が、ツイッターでも言われていて、僕の地域だけではないんだなと記憶に残ってます。当時はホント「いや、どうしろっていうんだよ」感がハンパなかったんですが、どうも「勉強すればいいって訳じゃないらしいが、夢とか個性ってなんだ? 自分らしさってなんだ?」という迷宮に皆ハマっていったのは未だに記憶に残っています。

テレビの弱体化、インターネットの台頭


感動で涙が... 未成年の主張 感動名作ランキング

そんな中で、小学校を卒業した頃くらいからでしょうか。みんなテレビの代わりにインターネットをやり出して、何かが変わっていくのを強く感じました。
詰まる所、みんな別のところを向いているし、グループが細分化された。

小学校まではテレビで『学校へ行こう』を見たら、翌朝には「リズム4」やら「未成年の主張ごっこ」なる遊びが流行って、どんなにクラスに馴染めなくても、それをやればひとまず全体の輪の中に入れて貰うことが出来た。そうして、自然と仲間意識みたいなものが生まれて、修学旅行のキャンプファイヤーで「みんな仲間だ。ガハハ」とか出来た訳です。

でも、中学高校でテレビがみんなにとってのビッグコンテンツじゃなくなり、そこにyoutubeやニコ動が入り込んだ結果、グループごとに好きなものが違う時代が訪れた。好きなアーティストも全然違って、全てのグループで共有出来る大きなコンテンツがなくなり、話題は同じ属性の間でさえ別のものになっていった。

例えばですが、通常ならオタク一つで繋がれたのかもしれないけれど、好きなものが全然違うということの方がデフォルトに。

「俺は東方が好きなんだけど」
「ごめん、東方は分かんないや。俺オタクっていっても、エロゲしかやんないから」
とか。
ニコ厨って聞いたんだけど、この動画わかる?」
「あ~俺はアイマスの実況動画しか見ないから」
とか全然あった。

匿名という「非現実」の心地よさと、弱さ

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(画像はmixi公式サイトから)

そうなると、自然にモバゲーとかmixiとかで、その細分化されたコンテンツを共有できるグループをそれぞれ探して、オフ会とかに行くようになります。僕は学校でいじめられて、友達がいなかったのもありますが…。

でも、その中では匿名でいられたし、自分から話さなければ学校のことだって言わなくていい。ただ、好きなものの話をしていればよい非現実的な心地よさがそこにはあった。まさに楽園との邂逅。

しかし、匿名故にmixiが廃れれば、人はどんどん消えていくし、チャットも出来なくなる。skypeも繋がらなくなり、弱いつながり故の心地よさが、それ故に脆いものだったと気付いたのもこの頃です。

更に言えば、グループが細分化されると、それぞれのグループごとに自分のテンションも変わり、あるグループでは体育会系後輩キャラ、あるグループでは文化系考察キャラみたいになり、個性どころか、どんどん個が分断されていく苦しみすらあった。
脆い依存先に、脆い個性、脆い将来像、そんな最中で、苦しんでいく。

 

「一体感」は言語化できない


Betsy & Chris White color is lover's 白い色は恋人の色

そんな中で、最初に上げた作品に戻っていくと、みんなあの作品のどこが好きかと聞かれると、明確に答えれない。

何故なら、好きなのは、その時代にある雰囲気であり、暗黙の「空気」だからです。それが、みんなが同じものを好きで、みんなが同じ話をすれば仲良くなれるという前提であり、今は失われたこの憧れを、これでもかというくらい詰め込んだ作品たちがその時代を取り上げた作品達なんですよね。

情熱に大小はあれど、「アレいいよな!」の一言で、今よりずっと多くの人と仲間になれる時代があったなんて、とてもじゃないけど信じられない。

同じく、理想もあって、経済成長!オッケーバブリー!で頑張れば、それなりの幸せが手に入る理想や将来像がちゃんと存在したから頑張るモチベーションも高い。「安月給」とか「万年係長」とか言われる野原ひろし(35)でさえ、推定年収650万で1家を支えてる姿とかが常識として描かれる時代ですもの。

そう、結論に戻れば、「みんな一緒で、みんな同じ理想を共有し、みんな同じ方向性に向かっている」、そんな「一体感」に、他者との繋がりが脆くて、理想にも上手く向かっていけない僕らが惹かれてしまうのは、そりゃあ当たり前だよ…。

漠然とした不安もあるし、努力しても出世できるとは限らない。
だったら、自分の好きなものに時間を使いたいし、残業代を荒稼ぎしてもしょうがないから、シェアでもして節約&繋がりを持ちたい。モーレツを毛嫌いしてるというか、モーレツやってもしょうがないじゃんっていう気持ちが心のどこかにある。

だけど、本当はそういう時代の空気に憧れる、どうしようもない矛盾を孕みながら、また新宿の昭和歌謡曲バーに、束の間の「一体感」を味わいに行ってしまうんです。

書いた人:ノダショー(DON'CRY編集長)

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