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キミは岡田麿里を本当に知っているか? レビュー『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』

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(出典:amazon / ©文藝春秋

先日、岡田麿里さんが初監督を務めるアニメーション映画『さよならの朝に約束の花をかざろう』が発表されました。

それに際して、岡田麿里さんを心から敬愛するDON’CRYでは、「シリーズ、岡田麿里作品」と称し、何人かの書き手による作品紹介を連載しています。

第2弾は、岡田麿里さんの生い立ちに迫った自著『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』のレビューです。


 

小学校の頃、脚本家になりたいと言ったら社会の先生に教えられたことがある。

嘘で人は感動しません。
人はその人が経験したことを通して、初めて感動できるのです。
だから今は多くの経験を積んで、それから書いたって遅くはありませんよ。

この言葉を体現する人物といえば、何の疑いもなく岡田麿里だ。

 

岡田麿里が知りたくて著書を手にした

彼女は言うまでもなく、『あの花の名前を僕達はまだ知らない』や『心が叫びたがっているんだ。』、『花咲くいろは』など多くのヒット作を生み出した脚本家である。

そんな彼女の書く作品はどこかしらの毒味がある。
いわゆる「萌え」や「記号化」された表現だけでなく、フィクションというアニメの世界に、ザラッとした手触りの悪い現実が加味されている。

例えば、「あの花」でいえば、ゆきあつは特にそうだろう。
スマートに見えて女装までしてしまう彼は、やり場のないモヤモヤをずっと抱え込んでいた。好きだった女性に化けるイケメンという設定自体は確かにフィクションらしいが、その裏にある彼自身の悩みは現実そのものの生々しさがある。

では、それらを手がける岡田麿里とは一体何者なのか?
本人の過去が綴られた『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』に近い答えはあると思い手に取った。

 

不登校児というレッテル、そして引きこもりになる彼女

手に取ってまず驚いた。岡田麿里は何と5年半もの引きこもり生活をしているのだ。

彼女はいじめられていたが、それが引きこもりの原因ではない。休みがちではあったものの学校へ通っていたのに、大人から「不登校児」というレッテルが貼られた。その瞬間から彼女の引きこもりは始まったのだ。

そして、5年半という時間は決して短くない。この間彼女は、将来のことを考えると不安になり、布団にくるまって叫んでいたそうだ。自分の家が世界のそのものであり、それ以外は「外の世界」として隔絶していた。

母親には「お前みたいな子供がいるのは恥ずかしい、殺す」とまで言われた、と書かれており、家族からも変なもの扱いされていたのかと思うと、私としては胸が苦しくなる。いきなりの自分の話で恐縮だが、私も家族の中では変なもの扱いだったからだ。
片田舎でオタク的趣味を持つことは、当時珍しく、マイノリティで変な奴だと思われていた。親は強制的に取り上げなかったが、そういう漫画を読んでいると「人として落ちぶれている」と何度も言われた。

家族さえ自分を半ば見捨てている。なんだったら子供を自分の生き恥としている。
そういうことを言われる度に「ごめんなさい」と後悔がありつつ、反骨心やプライドも絡まり、矛盾を孕んだ心のモヤモヤで苦しむことがあった。彼女もそんな気持ちだったのだろうか。

 

アニメ脚本家としての始まり

ただ引きこもり続ける彼女にも夢はあり、それは「外の世界」に行くことだった。緑に囲まれた秩父を抜け出すこと。その転機は高校卒業のタイミングで訪れ、東京という知らない外の世界に行く。

岡田麿里にとって、秩父に帰らないと決め、東京で専門学校生活を送ることは大きな転機だったのだろう。
秩父という狭いコミュニティから、多くの人やモノが飛び交う東京に出てきたら、今までにない体験が多くあり、また自分を知る人間が圧倒的にいない環境だからこそ、やり直すことができたのではないだろうか。

そして、専門時代を経て、プロの脚本家になりたいという欲が生まれ始め、Vシネから始まった脚本家人生を、手伝いとして始めたアニメ作りへと進めていく。

原作付きの作品を手がけた彼女は、最初こそ原作ファンからの容赦ない批判に苦しんだが、話数が進むごとに評価され大いに喜んだという。そういった経験を経て、アニメ作りの一員として、積極的に参加するようになる。

 

脚本を通じて、コミュニケーション能力を磨いた岡田麿里

そうして脚本家として受け入れられていく過程は、まるでシンデレラストーリーだが、それは岡田麿里が培ってきた青春時代があったからだろう。

彼女の書く専門学校時代の文章が、どういうものだったのか残念ながら知ることができないが、秩父という中で溜め込んできたものを吐き出す機会を得て、前のめりに取り組んでいった様子がわかる。

そして、彼女はアニメの仕事をきっかけに、集団で何かを作る魅力にハマっていく。
自分の書いた文章で自分という人間を理解し受け入れてもらえるからだ。

一緒に作品を作り続けることで、相手が本当はどんな人か知ることができる。
(引用:学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで)

彼女は自分から引きこもりであることを、仕事関係者には伝えなかったらしい。それはおそらく学生時代と同じで、他者によって「引きこもり」というレッテルを貼られたくない心理があったのかもしれない。

しかし、彼女がそのことを仕事した人に伝えてみると、「文章読んだら分かるよ」と言われたそうだ。自分の言葉で伝えなくとも、自分の仕事が伝えてしまっていたのだ。

同時に、文章を読んだ感想を通じて、相手が自分をどう思っているのか分かることで、相手への理解や、そのきっかけへと繋がっていく。
対人コミュニケーションが苦手な彼女は、仕事を通じて自分を伝え、相手を理解する方法を学び、仕事人としても一流の道を歩み始めたのだ。

そして、ついに名作、「あの花」と「ここさけ」を書くことになる。

 

『あの花』が出来て、母親と再開することになる

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(出典:amazon / ©アニプレックス

本著で書かれているが「あの花」は最初、秩父という設定はなかったらしい。
ただ誰となく「秩父だな」と言ったせいで決まったらしいが、当人としては気が気でなかっただろう。

岡田麿里は実際のロケハンにも付いていき、実家を訪れ、母親との再会を果たすまでに至っている。当人は自分が社会人として、仕事をしている様子を母に見せたかったらしいが、残念ながら、母の関心を引くことはなかった

元より褒めることはない母ではあったらしいが、期待していた自分が恥ずかしいと書かれている。しかも、じんたんの家の美術設定は実家と瓜二つとなり、本人が大反対したことまで綴られている。

いかに当人が自分の過去を振り返って、いい思い出がないかというのも分かるし、ましてや、知らない誰かに自分のその過去を知られてしまう作品が『あの花』だったのだろう。

しかし、そんな不安な岡田麿里にとって、予想外の出来事が起きた。

放送後、ファンが実際に実家に訪れ、知りもしない自分の母親に「岡田麿里の作品を見てください」と熱心に伝えていたそうだ。

結果として、母親は、何とそのあと「花咲くいろは」を見たそうだ。自分の過去を引きずり出された「あの花」を、こういうファンのお蔭で、彼女は受け入れることができたのではないだろうか。

 

苦悩した「ここさけ」に救われた

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(出典:amazon / ©アニプレックス

そして『ここさけ』を書くことになる。
『ここさけ』の制作は大変だったと聞く。監督と岡田麿里がぶつかり、台本の完成までに時間がかかったらしい。

『ここさけ』は「しゃべること」ができなくなったしまった主人公、成瀬順が歌の力を借りて想いを伝える山場のシーンがある。岡田麿里は今回の作品は個人の思い込みを排除して、監督に献身して書いたいう。

しかし、彼女は山場のシーンで泣き、監督やスタッフとぶつかり合い苦悩した作品をこう語っている。

あれだけ悩まされた作品に、私は勝手に救われてしまったのだ。
(引用:学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで)

ミュージカルシーンの楽曲『わたしの声』の歌詞は、岡田麿里自身が書いている。そこには、彼女自身の経験した過去が吐き出されていた。

わたしの声
さようなら
あの山の先の
深くねむる湖に
行ってしまった
ひとのこころ傷つける
悲しい言葉を
口にしたくないと泣き
行ってしまった
おはよう こんにちは
ごきげんはいかが
ありふれたやりとりが
いまは恋しい

彼女は引きこもりをきっかけとして、本当の自分とは何か分からなくなり、相手に合わせ続けることで苦しんできた。
『ここさけ』でも監督に合わせて続けていくことは、そういう苦しみがあったのかもしれない。しかし、ミュージカルシーンの歌詞や順の言葉は、岡田麿里の「本当の自分」だったのではないだろうか。

それが作品として昇華されたことで、彼女は理解され、受け入れられたということだろう。彼女は作った時は意識していなかったが、結果として救われたのではないだろうか。

 

岡田麿里という人間を、僕達はまだ知らない

本著を通して、一番の感想は、岡田麿里は勇気のある人だ、ということだ。
本人は自分が根暗で、捻くれ者で、頑固者だというが、自分の辛い過去や経験を表現の中でスッと出せる人間なのだ。

そもそも、大抵の人は自分のそういった過去と向き合うことはしない。好きな人に振られた過去も、親を泣かせた過去も、誰かを傷つけた過去も忘れ去る。そういったものを見つめ直すのは苦痛であるし、見て見ぬ振りをしたいものだからだ。
私だってそうだ。過去の全てを他人に話すのは辛いし、思い出したくないことがたくさんある。

しかし、彼女は秩父で引きこもり続けた経験を、作品に昇華した。その経験を決して無駄にはしていない。それを糧に多くの人が作品を通じて救われ、感動しているのだ。

「私の…気持ち…本当に喋りたいこと…!」
(引用:『心が叫びたがってるんだ。』)  

それが言えなかった岡田麿里だからこそ紡ぐ、自分の体験に肉薄した物語がそこにはある。

僕たちが岡田麿里という人間を知るのはまだ足りないと思う。
そして彼女自身もまだ語り足りないのだと思う。

だからこそ、今度は監督という立場で作品を作り始めた。
さよならの朝に約束の花をかざろう

今度は一体何を見せてくれるのか、今から楽しみでならない。 

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「シリーズ岡田麿里」第1弾はこちらからどうぞ

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