『魔法少女まどか☆マギカ』、もはや7年も前の作品になってしまった。
それでも、私たちの記憶に鮮烈に残り、深いところで眠り続けている。
それだけの深く刺さってきたのは、一体なぜだろう? 私は、作中の魔女こそ、私たちだったからだと思っている。
私たちが生きる、魔女を生むリアル
「普通の物語」は優しい世界がほとんどだ。
そこでは努力が報われるし、正義の味方は必ず勝つ。
囚われの少女は解放され、王子様と結ばれる。
そういう物語がみんなに好かれる。
きっと、誰だって勝ち組になりたいし、明るい夢を持ちたいからだろう。
物語に登場しない人のことは興味ないし、気にも留めない。
しかし、現実は違う。誰にでも優しい世界が開かれるわけではない。
「優しい世界」の裏側には、「優しくない世界」が存在する。
努力が報われないことも多いし、正義の味方は登場しない。
哀れな少女は囚われたまま一生を終えるのが当たり前。
それどころか、やがて別の少女を縛る悪い魔女になってしまうこともある。
自己嫌悪に潰れる、正義の味方
『魔法少女まどかマギ力』に登場する「美樹さやか」。彼女こそその人だろう。
主人公の親友ポジションで、ムードメーカーなキャラクター。
彼女は幸せな学生生活を送り、淡い恋心を抱きながら青春を謳歌していた。
同時に、正しいことは報われるのだと純粋に信じていた。
そして彼女は、契約を交わして得た、たった1つの願いごとを使って好きな人の怪我を治す。
もちろん代償として、悪役と戦う「戦士」になったが、それでも「みんなを守る正義の味方だ」と前向きだった。
しかし、世界は残酷なもの。
想い人は友人に取られ、信じていた正しさにも裏切られる。
「ねえ、この世界って守る価値あるの? あたし何の為に戦ってたの? 教えてよ。今すぐあんたが教えてよ。でないとあたし...」
「あの時、仁美を助けなければって。ほんの一瞬だけ思っちゃった。正義の味方失格だよ...。」
内にある暗い感情に気づき、自己嫌悪に潰れていく。
誰かの人生の脇役で終わっていく私たち
結果として、彼女は絶望の末に自分自身が不幸を振りまく「魔女」になってしまう。
彼女は「正義の味方」にも「王子様と結ばれる女の子」にもなれなかったのだ。
そんな彼女を見てまるで他人事のように思えなかったのは、きっと私だけではないだろう。
どちらかというと、私は「優しくない世界」を生きてきた人間だ。
「いじめ」を何度も受けたり、運よくグループに潜り込めても「いじられ役」が関の山。
何年かすると孤独にも慣れたが、それでも空気は息苦しいままだった。 まだ何十年も残っている人生を思うと、乾いた絶望が広がっていくようだった。
「私はこのまま、誰かの人生の脇役で終わっていくんだろうな」
薄っすらとだが、そう思っていた。
だからだと思う。
その頃、「優しい世界」の物語ばかりが溢れている世の中から、遠回しに拒絶されているように感じた。
きらめく世界を期待する人々にとっての私は、視界に入るだけで迷惑な存在なのかもしれない。
”臭いものに蓋をする”という言葉を聞いて、ああ自分はゴミなのだと。「なんで産まれてきてしまったのだろう」と、悲しくて悲しくて仕方がなかった。
リアルが変わらなくてもいい
それでも最終話、主人公まどかにより、魔法少女が魔女になることがなくなった。過去現在未来、人を呪い、殺していく魔女たちの全て。
みな絶望から解放されたのだ。
そして、美樹さやかも絶望から救われた。最期に想い人の晴れ姿を見て、安らかに終わることができた。
「...うん。これでいいよ」
「そうだよ。私はただ、もう一度、アイツの演奏が聴きたかっただけなんだ。あのヴァイオリンを、もっともっと大勢の人に聴いてほしかった」
「それを思い出せただけで、十分だよ。もう何の後悔もない」
涙がこぼれた。
まどマギは、「普通の物語」では画面に映らない脇役たちにスポットライトを当て、「救済」を与える。
努力が報われなかった者。使い捨てられた犠牲者。
誰も気に留めない、人生の脇役たち。
鹿目まどかが救おうとした美樹さやか、そして名も無い魔法少女たちが、自分ととにかく重なって見えた。作品全体が声を上げていた。
「彼女たちもここにいて、頑張っているんだ」「救済されるべき存在だ」と。
それが心に刺さった。
現実は変わらないかもしれない。
でも、確かに私の心は救われた。
「私も、ここにいてもいいんだ」
心なしか息をするのも少し楽になった気がした。
美樹さやかと他の魔法少女たち、そして名も無い脇役たちに感謝を。ありがとう。
書いた人: