こんばんは。ドンクライ編集の稲田ズイキ(@andymizuki) | Twitterです。
今回書くのは、『交響詩篇エウレカセブン』の主人公レントン・サーストンに憧れたが、そうはなれなかった、とある男の話。
とある男…。
彼にとって、己とはレントンであり、彼女とはエウレカであり、歩む人生は『交響詩篇エウレカセブン』なのである。
・・・
「童貞か」
と、心の中のタカアンドトシが突っ込んだ方、ご名答。
そう、この男、20代後半にも差し掛かり、依然として童貞である。
童貞特有の誇大すぎるロマンチシズム、膨れ上がった自意識。
普通の感覚を持っている20代後半男性ならば、自分のことをレントン・サーストン(14)と間違えるはずなんてない。
普通の20代後半なら誰しも「次元大介」か「ジェット・ブラック」に代表される、ちょっといぶし銀なハードボイルド2番手を目指すものだ。
だがしかし、彼は主人公であり続けたい、レントン・サーストンであり続けたいと願う「痛い奴」だったのだ。
そして、その男の正体は、他でもない、「俺」なのである。
ーーーーノンフィクション童貞ロマン活劇の幕が、いま開く。
ずっとエウレカを探していた。
「今忙しいから恋愛している場合じゃない。」
その男は、昨晩、遠距離交際していたとある女の子からフラれた。
彼は彼女のその言葉を聞き、なぜか笑っていた。ヘラヘラが止まらなかった。
彼はこの世界の主人公でありながらも、これまでの人生をいじられキャラとして過ごしていた。
その特性から、目の前のどうしようもない「最悪」はヘラヘラすることで乗り越えるようプログラミングされていたのだ。
「そっかそっかwそれはしょうがないなw」
男は彼女の泣き声も覆い隠すように笑い続けた。
無論、笑えるはずなどあるわけがない。
笑顔の裏では、胃(物理)と心(精神)の2点同時責めを受け、声にならないおたけび「おおえwhcjsばqふいbcwjんjxkl」を叫び続けていた。
彼は、ずっとヒロインを探していた。
少々気持ち悪いかもしれないが、これは2000年代に思春期を迎えたセカイ系童貞オタクのカルチャー的必然なのだ。
この絶望混濁の世界を生き抜くには、僕という主人公と、君というヒロインだけで構築する二人だけの「セカイ」が必要だったのだ。
※セカイ系がわからない人のための説明書
中でも、彼はより純愛なボーイ・ミーツ・ガール・ストーリー『交響詩篇エウレカセブン』のセカイに憧れていた。
「俺は君が好きなんだ。君だからできたんだ。君じゃなきゃダメなんだ。俺は君が大好きだ!」
この言葉、2話のレントン少年の名言である。
田舎暮らしの冴えない少年レントンの目の前に、巨大ロボットに乗ったエウレカが現れたのが第1話「ブルー・マンデー」。
ラピュタでいう「親方!空から女の子が!」。
そのおよそ30分後に、レントン少年は抑えきれないラブをエウレカにぶち放ってしまっているのだ。
パズーも「早漏かよ」と思わず突っ込んでしまうこの速度。速い、速すぎる。
これが僕が憧れる「セカイ系の恋」なのである。
「私が大好きで、そして私が1番守りたいもの
リンクと一緒にいたい
メーテルと一緒にいたい
モーリスと一緒にいたい
そしてレントンと…
だけど そう願うことで
私の大切なものが失われてしまうなら
そう願うことでみんなの星がなくなるなら
私は願うことをやめよう
でも許されるのなら
もう一度みんなに会いたい
会いたい…会いたいよ…
レントン」
(50話「星に願いを」-エウレカ)
「世界をかけた恋」そんな言葉で表現すれば陳腐なものに聞こえてしまうが、最終局面、二人の恋愛は確かにそうなのだ。
「君 or 世界」の決断、つまり君がいることを望めば、この世界は終わりを迎える。
皆までは言わない。
二人の出した答えはLOVEに決まっているのであった。、
世界を敵に回しても、エウレカと一緒に生きる道を選ぶレントン。
そんなレントンに憧れた男も、やっと現実世界でヒロインを見つけた、はずであった。
自分だけのエウレカを見つけた、はずであった。
遠距離恋愛だったけど、距離を感じさせない。
「僕」と「君」の心だけで繋がっているセカイの前では、物理的距離は意味を持たないと思っていた。
俺のセカイは脆すぎた。
「多忙」
彼の構築したセカイはたった2文字で砕かれた。
多忙 breaks “world”.
「忙しさ」にセカイが負けたのだ。
そんな結末のセカイ系作品も、そんな無碍なこと言われる主人公も未だかつて聞いたことがない。
そんなバカなことがあってたまるか……。
「忙しさ」とは極めて現実的・日常的問題だ。
対して、二人の愛とか関係性は、なんかもっと形而上学的というか、観念的というか、なんていうか、もっとすごいやつなはずだったのである。
エウレカセブンに突然TOKIOが現れて、スカブコーラルで田畑を耕し始めたような急落下であった。
これがセカイ系主人公を目指した末の最終回だというのか。
だったら、俺たちゼロ年代セカイ系童貞オタクはどうやって生きていけばいいのだ。
どうやってセカイを構築すればいいというのだ。
レントンはエウレカがピンチの時には必ず現れて、彼女を助けた。
ところが、俺は、彼女が忙しいピンチの状況で切り捨てられているのだ。
俺「俺は君が好きなんだ。君だからできたんだ。君じゃなきゃダメなんだ。俺は君が大好きだ!」
彼女「あ、今忙しいから」
俺「あ、、、」
彼女「なんかごめんね・・・」
俺「ヘッヘッヘッへッ(ヘラヘラ)」
なんという非力な主人公。
逆に、たくましすぎるだろヒロイン。
セカイ系作品としては異色すぎて、1話切り決定である。
どうして俺はレントン・サーストンになれないのか。
レントンだって童貞のはずだ。
童貞だけがセカイ系主人公になれるんじゃなかったのか。
俺はずっとそう信じていたんだけどな……おぉ?
ハップという現実と「おっさんのセカイ系」
いま文章を書きながら、ふと我に帰り、気づいたことがある。
初めて『交響詩篇エウレカセブン』を観たのは中学生の頃。
レントンとエウレカが織りなすラブストーリーに憧れ、焦燥し、悶え苦しんだ。
『耳をすませば』を観たら死にたくなるあの現象と同じように。
俺の心はあの頃のままだった。
ずっとレントンに自分を投影し続けているのである。
だけど、20代もそろそろ後半に差しかかろうとする中、レントンと俺のビジュアルはあまりにもかけ離れている、ということに気づいた。
ハップ。そう、俺はレントンではなくハップに近づいているのだ。
ハップとは、おっさんである。
腕毛の濃さがやけにリアルな、ただのおっさんである。
最近、鏡を見るたびに「おっさん」という現実が押し寄せる。
にじり寄るおっさんの恐怖。
頼む、ハップ。こっちくんな、やめろ。
しかも、エロ本を読んでいるあたりも心当たりがある。
「驚きのプレイ」ってまじなんなんだよ。
どんな顔で「驚きのプレイ」を見てんだよハップ。
見た目はハップ、心はレントン。
気味の悪い名探偵コナンがいまここに出来上がろうとしているのだ。
すると、「おっさんがいつまで夢を見ているんだ」そんな声が聞こえてきそうだ。
ガキ臭い。童貞の極み。自意識をこじらせた犯罪者予備軍。
いろんなご意見があることだろう。
だがしかし、俺は希望を捨てない。
やけにポジティブなのは、自分はこの人生の主人公だと信じて疑わないからである。
「信じていれば、いつか世界は変わる。」
そう教えてくれたのは、かつて観ていたセカイ系アニメであった。
現実を超えた想像とロマンの世界は血肉になり、俺に主人公としての自意識を構築しているのである。
俺は信じている。
「こんな主人公だからこそ構築できるセカイもあるのではないか」と。
そう、これは「おっさんのセカイ系」。
そんな可能性の物語である。
これは今よりもずっと先。でも、そう遠くはない未来の話。
「おっさんがヒロインと出会い、おっさんがセカイを救う。」
ちょっと壮大なように聞こえるけど、実はそんなに大したことがない、普通の人生の物語。
でも、この物語の可能性を信じて、「彼」はいま前を向こうとしている。
一見どうしようもない人生でもわずかな希望を抱こうとしている。
かつて星を救った英雄はこう言った。
「アイ キャン フラーーーーーーーイ」と。
彼もいつか飛び立つ。きっと必ず。
・・・(つづく!)
書いた人:いなだみずき