どうも、編集長のノダショーです。
一つ前の記事でも書きましたが、ドンクライは4月からコンセプトを深化させます。早速、結論からいきましょう!
「今ここにある閉塞感・生きづらさをカルチャーで和らげる」
「未来のオタクはもう泣かない。」
これが僕らの新たな目標であり、コンセプト。だから僕たちは、その未来に向かって、今10~20代の中にある閉塞感・生きづらさを和らげるカルチャー情報・居場所を作り出すメディアを目指します。
しかし、そもそもなぜ、いま10~20代はそういった問題を抱え込んだのか? きっと、それにはまず、世代的なものがあるはず。
成長はもうないと言われている。結婚して子供持って庭付き一戸建て買うなんてもはや贅沢。旧来の理想は崩壊してしまった。
なら、仕事よりもまず趣味を楽しく生きたい。オタクなんだからなおさらだ!
だとすれば、どこに向かっているのかもわからないこの現代を、この夜を、まずやり過ごさせてくれる刺激的なモノに囲まれたい。
可愛いもの、カッコイイものが好きだ。
「お前らダメだな!」Vtuberやアイドルのそんなちょっと乱暴な言動が好きだ。
めっちゃ凹んでる時に食べる、至極のメシが好きだ。
でも、それでいて、そんな軽い情報だけじゃやってらんない! やり過ごすこの空虚さの正体を教えて欲しい。
「認められたい、褒められたい」承認欲求が暴れて苦しい。
「上の世代が理解できない」だから排外してしまう。
「なんのために生きてるのかわからない」ふっと消えたくなる夜がある。
そんな切実な悩みや、面白いモノについて酒を飲みながら、時にギャーギー笑いながら、時にう〜んと悩みながら、語れる仲間が欲しい。
「あれヤバくね?」「ヤバい!いいよね!」と言えるだけで楽しいし、「なんで?」「こうじゃね?」と言えるだけで嬉しい。
そのために、フラッと行ける距離感で受け入れてくれる居場所が欲しい。
なら、それは全部、僕らドンクライが作り出す。
親しみやすく、バカらしく、それでいて深い!
「今ここにある閉塞感・生きづらさを和らげる」
未来のオタクはもう泣かない。それがドンクライ!
救われたドンクライメンバーたち
さてさて、結論から言いましたが、そもそも何でコンセプトが変わったのか?
ドンクライは企画から間も無く1年。記事を通じて沢山の批判もいただきましたが、同時に、記事合計2万シェアを超えて、沢山の賞賛もいただきました。
でも、それらは正直にいうと、大して重要じゃない。
なぜなら、このメディアを立ち上げた目的は、あくまで「自分たちのように孤独を抱えたオタクが、ドンクライの記事や、紹介する作品、イベントを通じ、孤独から救われること」だったから。
そして、その点における一番の誤算は、思ったより早く「ドンクライメンバーが救われてしまったこと」なんです。
同志と語る場を手に入れて
編集部員やライターたちは昨年4月、まだバラバラな他人であり、孤独だった。アニメやマンガ、ゲームなど、オタクカルチャーに救われて何とか生き延びてきたものの、人と繋がり合っていると感じることはできなかったからです。
でも、まず編集部員が集まって語り合い、次にライターと膝を突き合わせて記事を作り、最後にイベントを通じて読者と触れ合い、「自分が救われた作品」を語り明かすことでその孤独は癒された。そう、救われてしまったんです。
だとすれば、一緒についてきてくれた読者を含め、そんな僕らがこれからも「孤独なフリ」を続けることは、明らかに不誠実。
じゃあ、これまでのようなことをやめるのか?
否ッ、やめません!
ドンクライはこれからも「作品に救われた体験を語り合う場」であり続ける。僕らがそこで救われたのだから、そこで同じように救われる人がこれからもいるはず。
それは「必要だった、もういらないもの」じゃない。「必要な人がいるもの」のはず。ならば、消すべきじゃない!
それは通ってきた道に糸を垂らし、後から追いついてきたまだ見ぬ友人のために、道標を作るようなものなんです。
「じゃあ、今はもう辛くないんですよね?」という疑問
さて、それから数ヶ月前、唐突に飛び込んできた疑問がこちら。
でも、「辛くないわけない!!!」んですよね。
悩み Never Ends。むしろ、孤独を超えた先に、こんなに大きな生きづらさや閉塞感という「壁」が立ちはだかっているとは思わなかった訳ですよ…。もうハッピーエンドくらいの気持ちでいたら、孤独はなんと1面のボス、4天皇の中でも最弱だったという。
だから今でも強烈に「わかんないけど、なんか、どっか辛いんだよッ!!!」っていう状態がどうしようもなく存在する。そこで、僕らに必要な情報を再定義する必要に駆られ、生まれたのが先に書いたドンクライの定義な訳です。
でも、僕らにとってそれはあくまで「孤独」⇨「生きづらさ・閉塞感」という一繋ぎのもの。だから、変化じゃない。入り口は今まで通りだけど、中は広く、深くなる。深化なんです。
他のメディアと何が違うんだ?
では、総まとめといきましょう。他のメディアと僕らは何が違うのか?
即答! 「生きづらさをカルチャーで解消する」というコンセプト。これまでもこれからも、僕らにとって一番大きな違いはコレでしょう。
でも、僕らは深化するにあたって、嫌いなもの、つまらないと思うもの、距離をおきたいものの6ヵ条を宣誓しておきたいと思うんです。
①見たことある平凡なものを出す
⇨常に意外性と驚き、新たな発見を提供します!
②情報の横流し
⇨ただのリリース記事はやりません!
③理解する努力をしない
⇨面白いならなぜ面白いのか、つまらないならなぜつまらないのか、嫌いならなぜ嫌いなのかを言語化します!
④理解できないものを排外すること
⇨想像力を働かせ、思い遣ります!
⑤自分が読んでつまらないものを出すこと
⇨自分も読者。だから、自分が読んで面白いものを出します!
⑥知識でマウントすること
⇨オタクなら「好き」で語ります! さらに表現者なら「好き」を「面白く」語ります!
以上ッ!
この宣誓は自らの首を締め、ケツに火をつけ、考える努力を強いるでしょう。
努力は辛い。けど、努力をしなければ、まだ解決されていない「生きづらさ・閉塞感」にアタックすることなんて夢のまた夢!
メディアは読まれてナンボ。その上で読んでくれた人が幸せになって欲しい。誰のためのメディアかなんて問われなくても分かる。同じ興味関心や問題を抱える、僕らとあなたたちのためだ! なら、そのための努力は必然です。
だからこそ、ぼくらの視野が狭まり、間違えて進まないよう、読者(と書いて友と読む)の皆と一緒に進んでいきたいんです。先の見えない現代という洞窟を、かがり火を焚いて共に進みたいんです。
その体現であるイベント、今週末の読者参加自由の大企画会議は幸い、一週間足らずで満員。ありがたい、本当にありがたい。
僕らが生きる未来は確かに暗く、混迷を極めているのかもしれない。高度経済成長期みたいに分かりやすい幸せは、きっと僕たちには掴めないだろう。
でも、そんなことは僕らには関係ない。僕らは泣かない!
だって、僕らに必要な希望は、僕らで考え、僕らで作る。それがドンクライなのだから!
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