初めまして。たりんと申します。
恐らく、アニメや漫画には皆さんほど詳しくはないのですが、皆さんと同じく「作品」によって孤独から救われて生きている当事者です。
つまり、ドンクライを涙と鼻水流しながら読んでる一人です。
そして、ずっと行きたかったドンクライのイベントにやっと予定が合って初参加。
そして、30人が5班に分けられた「大編集会議!!!」で、私の班で提案した企画『参加者目線で語る、ドンクライのイベント行ってみたレポ』が、”もっともドンクライらしい企画”として、めでたく編集長賞をゲット。
班を代表してレポートしてみたいと思います。
分かってもらえる安心感がすごい
さて、「行きたい!」と思って申し込んだ大編集会議。
もちろん楽しみではあったのですが、どうしても、「私はそんなにアニメも漫画も詳しくないし大丈夫かな……」という不安がありました。
でも、その不安は杞憂に。とっても楽しくて幸せな時間を過ごすことができました。
では、どうして楽しく過ごせたか?
その理由は、ひとえに、大編集会議に集まった参加者が、相手の「好き」を否定せず、理解しようとする人たちばっかりだったから。
会議でも、そのあとのお花見でも、参加者の方と話してる間中ずっと、「わかってもらえてる」という安心感と、「新しい世界を見せてもらってる」という嬉しい刺激を感じて、終始セロトニンだばだばだった。
そして、そんな幸せタイムは、もう序盤の自己紹介から始まっていたんです
大好きなものを話す恐怖を超えたら…
まずは5つの班に分かれて着席。アイスブレイクとして自己紹介が始まります。ハンドルネーム以外で話す項目は…
「大好きな作品」「最近、他人から異常な熱狂をもって薦められたコンテンツやイベント、体験、カルチャー」「最近、自分が異常にハマってしまってるコンテンツ、イベント、体験、カルチャー」の3つ。
順番に発表されてゆく班の方々の「好き」は、VTuber、モデルガン、フィギュア制作などなど。
どれも私は知らない世界だったのだけど、どれもめっちゃ面白そうじゃないの……!
同時にちょっぴり過る不安。
各人、班の中に共感者が現れて「あ〜!わかる!」って盛り上がってるのに、私の番で、シーン…ってなっちゃったら辛いな…!
しかしここは他でもなくドンクライに共鳴した人が集まる場所。私が挙げる作品を誰も知らなかったとしても、傷つけるようなことを言う人は居ないと信じたい……。
うーんでもみんなが知ってそうなヤツを選びたい…コマンド無難で行こうか、あ〜どうしよううううううううううううあおおああああああああああでも、好きなもんは好きなの!!!
そして、チェコのカルチャーに興味があって好きな私は、勇気を出してチェコ産ゲーム『Machinalium』をおすすめしてみたら…
「あ、見た事あるかも」
「へ〜!知らなかった、でも面白そう!」
「俺もインディーゲーム好きだけど、俺とは違う方向で好きなんすね〜」
え〜〜〜〜〜〜〜みんなめっちゃ優しい〜〜〜〜〜〜!
そうそう、Machinaliumめっちゃ良いんですよ〜〜〜〜〜〜。
見栄も意地もなく、ただただ「好き!!」という気持ちを聞いてくれる人がいて、頷いてくれる人がいることって本当に嬉しいし、幸せすぎる。私が犬だったらウレションしてる。
否定されてきた「好き」が報われる
……正直に言うと、これまで自己紹介で「大学では、チェコ語勉強してました」とか「チェコのカルチャーが好きです」って言うと、
「チェコ語?中国語じゃなくて? やって何になんの?笑」
「へえ~チェコってプラハ?わたしは一生行かないと思うわ…」
とか言われたんですよ。本当に。
……興味持ってくれなくても良いけど、否定しなくたっていいじゃん。
そう思うことが何度もあったけど、ここにはそんなことがなかった。自己紹介から始まって、イベントの間中、ずっと、その幸せを噛み締めてた。
「好き」を否定せず、ひとまず受け止めて、たとえ知らないものだったとしても、感心したり、驚いたり。
全然わかってもらえなかった、わかってもらえることすら稀だった私の「好き」。受け止めてもらうことの嬉しさに感動したのは、私だけじゃないと思う。
言いにくい生き辛さが共有できた
さらに、「さすがドンクライだ……」と思ったのは、その共感とか受容が「好き」についてだけじゃないこと。
ドンクライ読者に共通するのは、何かの作品を「好き」ということ、そして、その「好き」に救われたこと。
辛かった記憶や、今抱えている「生きづらさ」、それぞれのディティールは違うけど、みんなそういうものを持っている。
今まで絶対に初対面の人に話すことはなかった自分のコンプレックスとか、家族の悩みとか、弱くてやわらかくてめんどくさい部分。
勇気を出して明かした時に、他の参加者に「ああああ〜〜〜それめっちゃわかる〜〜〜〜〜〜!」って言ってもらえること、そのことにまた救われる。
「好き」だけじゃなくて辛かった経験も受け止めてもらえるんだ。
「みんな、“救われた経験”があるんだ」という共通認識があるからこそ、優しくて幸せな時間が出来上がっているのだと思う。
残念だったこと
残念だったことを強いて言うなら、参加者の皆さんからの情報が多すぎて、処理しきれなかったこと。
みなさんの「好き」なもの、例えば可愛くて仕方ないVTuberの名前とか、おすすめされたゲームのタイトルとか、結構忘れちゃっています。
会の序盤では、ググってスクショしてメモを残してたのだけど、段々楽しくてそんなことしてる場合じゃなくなってたし、最後の方は酔っ払ってたし……。
あ、あと、肌寒い日だったのに、最初、会場がめちゃくちゃ暑かったこと(参加者が熱烈すぎたのかな)。
最後に、名札がガムテープだったから、ノリがニットについちゃったのが残念でしたね…でも、もうほんと、それだけだよ…。
自分たちなりの幸せがあればいい
万人にとっての「幸せ」って、もう無いよね?ということに気づいてる人はきっとたくさんいる。
有り体の言葉だけど、私の幸せは私の手でつくっていけるものだし、自分の幸せを自分で決めているということが、幸せそのものなのだと思う。
「好きで、自分が納得していたら、他人に何言われても関係ない!」
確かに、そう思ってはいるけど、どこかで不安もある。誰にも理解されないことをやり続けることは、結構孤独でそれなりに苦しい。
だけど、自分の弱さも、思い切って誰かに話すとすっきりする。自分だけじゃないんだなと思えることで、こんなに楽になるんだなと気づく。
なんなら今同じく苦しんでいる人にとっては「自分だけじゃないんだ」と思えることで少しの希望にさえなるかもしれない。
ドンクライが個室からシェアハウスに
ドンクライが「深化する」ということに対して、参加者の私が感じたことは、個室がシェアハウスになったみたいな感じかな?と。すいません、あんまり上手い例えではないかもだけど。
今までのドンクライは、好きな作品と一緒に辛さを”やり過ごす”、一人静かに夜を越えるための小さな個室。
でも、これからは、作品を通じて人にも会って、気持ちを受け止め合うことができるシェアハウス。
共有スペースで一緒にご飯を食べたり、ゲームしたり、映画を見たり、お酒飲みながら喋ったり。
ここに来ると辛さがゆっくり溶けてゆくような場所になるんじゃないか? だけどもちろん、一人で篭れる個室も確保してある。
これからもっと、ここにやって来る人が増えて、もっと楽しく過ごせたり、一緒に何かをはじめたり、ここで仲良くなった人たちで、別のお家を作りはじめたり、そういう風になるかもしれないなと思った。
もちろん、一人でそっと入ってきた人の場所を見つけてあげて、少しだけ目配せするみたいな優しさはそのままで。
想像を巡らすのは、ドンクライがこれからどんな素敵な場所になるのかということ。とても楽しみです。
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