こんにちは、編集長のノダショーです。
「なんとなく生きづらい…」
「どこか閉塞感を感じる…」
これらの問題に、一体どう向き合っていけばいいんでしょうか?
しかし、なかなか自分で答えを探すのは難しいもの。
そこで、Twitterで人気の医師、Dr.ゆうすけさんに、その考え方や解決法を伺っていく新たなインタビュー連載、【Dr.ゆうすけの生きづらさ診療所】が始まりました。
<Dr.ゆうすけ>
メンタルヘルスがライフワークの内科医。
身近な人の「死にたい」とか「生きにくい」と触れあって感じたものをことばにするのが好き。
スプラトゥーン2は黒ZAPを愛用。総プレイ時間730時間で、ウデマエS。
好きな言葉は「勇者とは、勇敢な者ことではなく、人に勇気を与える者のことだ」
「現世は高コストである」と気づくべき
ーー初めまして。これからしばらくDr.ゆうすけさんの診療所でお世話になります、患者のノダショーです。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
ーー早速ですが、Dr.ゆうすけさんは「逃げ場」としての作品の力にフォーカスされていると思うんですよ。
ちょっと前に大きな喪失体験があり、その逃げ込み先がドラクエ11でした。その80時間は余計なことを考えずに済み、結果としてショック期からはやく立ち直れたと思います。
— Dr.ゆうすけ (@usksuzuki) 2017年10月11日
人によっては小説だったりアニメだったりでしょうが、「逃げ込み先としてのコンテンツ」の価値はもっと理解されていい。
ドンクライは作品、大きくいえばオタクカルチャーによって生きやすくなった人々が集まっている。
なので、「逃げ場」としての作品の力は身に沁みています。
でも、メンタルヘルスの観点からも何故よいのか、というのは分かっていないんです。
なるほど分かりました。では、いくつか理由があるので、整理しながらお話しますね。
脳の負荷を下げることができる
まずですね、作品の価値として、脳の負荷を下げるというものがあります。
精神科医の名越先生という方が仰っていることなんですけど、普通の人間関係を保つだけでも、脳の負担というのはすごく大きいんです。
ーー例えば、どういうことでしょうか?
そうですね。空気を読んで、察して、そして24時間誰かに見られているっていう状況の中で、人間関係を維持するっていうことですね。
その情報処理コストが高くなりすぎて、それだけで人というのは、実はすごく疲弊してしまっているんですよ。
例えば、流行っている「※マインドフルネス」というのはそれをミニマイズするものだと思うのですが、例えばゲームだって同じようなもの。
※マインドフルネス:今この瞬間の自身の精神状態に深く意識を向けること。またそのために行われる瞑想。2010年代半ば頃からストレス軽減や集中力の向上に役立つ心的技法と見なされ、特に欧米の企業を中心に社員研修などに採り入れる動きがある。(goo国語辞典より引用)
ーーえ、ゲームがですか?
ええ。内容にもよりますが、一人でゲームをプレイしている最中にやり取りをしてる情報量っていうのは、普段、他者との関係の中でいろんなことを考えなければいけない量よりも、かなり少ないと思われます。
放っておいたらあっちこっちいってしまう思考も、オーバーヒートしている脳も、ゲームを始めればやることはまず「歩く」こと。
単純な目的があって、そのための行動が一歩二歩三歩っていう単純な情報に落ちる。
ーーなるほど、確かに処理する情報が一気に減りますね。
LINEとかSNSを見ないから、気を遣わないし、それでいて楽しいから一気に時間が過ぎてしまっていたり…。
ええ。脳がオーバーヒートしている状況が、プレイにより少し和らいでいる、ということがあると思います。
ーー確かにそうですね…。心地よい疲れだけが残っていたりします。
苦しみを客観視して、解決に向かうことができる
他にも、作品の力として、苦しみを客観視させ、解決に向かわせる力というのもあります。
苦しいことや悲しいことって、自分の人生が一回きりしかない中で、自分だけに今起こっていることだから、客観視できないんですよ。
だからすごく苦しい。苦しいけど、その苦しさはずっと自分だけに続いている。
なので、いつまで続くかもわからなければ、何に苦しめられているかも分からない。
ーー分かります。僕も高校時代、クラスと部活の全員からハブられたり、攻撃されたりしたことがあります。
でも、生まれて初めてのことだから、ただただ呆然として、2週間くらい自分の感情がどうなっているのかさえ把握できなかったことがあります。
ええ。でも、そういう時に、例えば小説とか映画で、似た状況に苦しんでいる人を見ると、自分の苦しみに輪郭が与えられるんですよね。
そうすると、「あ、自分の苦悩ってこういうことだったのか」って気づける。
そうやって輪郭が与えられると、理解不能なストレスを、理解可能な課題へと進化させることができるんですよ。
ーーあぁ…すごく腑に落ちました! 僕の場合、『彼氏彼女の事情』というマンガがその役割でした。
過去に親から虐待を受けた主人公が、「愛されなかったから苦しかった」と思っていて、僕も自分の苦しみがそうだと思っていたんです。
でも、本当は「愛したかったけど、愛されなかったから苦しかった」ことに気づく。
つまり、ただ放置されるなら乾いていくだけだけど、愛したいという感情に対して「拒絶」と「攻撃」をぶつけられたから、その何倍も苦しめられたということだったんです。
なるほど! それも、誰かの苦しみを通じて、自分の苦しみが客観視できるっていうことですね。
精神科医の熊谷先生という方が、「あるとあるが出会ってであるあるになる」と仰っているんですが、そんな風に、客体視することができて初めて人は課題として対峙できるようになるんです。
ーーまさしく、あの体験は「あるとあるが出会ってであるあるになる」でした。
どこか、病名がつくのにも似ている気がします。
確かに、似ているところはあると思います。病名がつくことでショックを受けたり、辛くなってしまうこともあります。
けれど一方で、自分の苦しみに「説明」がつくことで「自分だけじゃない」と救われる部分は少なからずあるなと思っています。
苦悩の正体がわからないままだと、「今苦しい。この先どうなるんだろう」っていう不安を抱えて、先の見えないトンネルの中に入り込んでしまう。
でも、病名がつくことで、それがどれくらい長いトンネルかがある程度予想がつく。
つまり、輪郭が与えられているんだと思います。作品というのは、それを行ってくれるんですね。
「陰性感情」を感じ切って、浮上を早めてくれる
ーー他にも、僕は就活で50社落ちて半年くらい引きこもりになった時期があるんですが、その時は『新世紀エヴァンゲリヲン』に強烈に傾倒していたんです。
なんというか、とにかくダウナーになりたかった。それはなぜなんでしょうか?
そうですね。まず、そういう感情のことを「陰性感情」と呼ぶんですが、陰性感情というのは感じ切ることが大切なんです。
ーー感じるだけではなく、「感じ切る」ですか…?
ええ。精神科医の名越先生の言葉に「感じてはいけない感情はない」というのがあって。
というのも、追い詰められた人は「この感情は感じてはいけないんだ」と感情を認めず、押し込めてしまいがちなんですよ。
僕はこれを「樽に押しこめてしまう」と呼んでいるんですが、例えば、虐待を受けてる子どもとかに結構多いんです。
自分がいま「悲しい」とか、「とても傷ついてる」とかっていうこと自体を、感じていないように振る舞ってしまう。
でも、彼ら彼女らは、一時的に感情を樽に押し込めてるんだけなんですよ。ほとんどの場合、その環境を生き抜くためにやっていることなんですけど…。
でも、それが続くと樽の圧が高まりすぎて、どこかで爆発してしまう。
その結果、いきなり気持ちが不安的になったり、ガタガタ震え出したりとかっていうことが起こるんです。
ーーすごく怖いですね…。それって、行き過ぎてしまうとどうなるんでしょうか?
「複雑性悲嘆」という、負の感情による不調が何年も抜けないような状況になってしまうこともあります。
虐待もそうですが、例えば、何か大切なものを失ってすごく悲しいときに、それを感じ切らないままでいると、そうなってしまう可能性があります。
その樽の中の圧を下げるカタルシス体験として、作品は重要な一役を担っていると思います。
ノダショーさんも、就活で落ち続けたことが本当は無茶苦茶悲しいけど、その悲しい気持ちっていうのを多分ずっと押し込めてきた。
ーー確かに…ある朝、突然全てに対するやる気がなくなって、起き上がるのも億劫になってしまいました。
でも、そこで「ダウナーにどんどんなってきたい」っていうのはそれを解放させたいっていう気持ちのあらわれかもしれない。
陰性感情をエヴァに傾倒することでガッツリ感じ切れたことが、そこから浮上してくるのにうまく作用したというのはあると思います。
ーーなるほど…まさしくその通りです。同じように、ある朝「そろそろ部屋から出ても大丈夫な気がする」ってなる時が来たんです。
他にも例えば、失恋した時にユーミンとか、aiko の失恋ソングとかを聞いて浸り切るっていうこともいいと思います。
それがその後の浮上を早めることになるんですよね。
ーーなるほど。「悲しい時は悲しい曲を聴きたくなる」っていうのはそういうことだったんですね。
ええ、そういうことなんです。
ーーでも、逆を言うことを言う人もいるじゃないですか。「悲しい時こそ明るい曲を聴け」とか。
悲しみの大きさによるので一概に言えないですけど、ものすごく大きな悲しみを体験したときは、間違いと言っていいんじゃないかと思ってます。
ーーやっぱりアレは間違いなんですね。
間違いだと思っていますよ。一番しんどい局面で自分の悲しみの感情を認めなかったことで、その心のダメージが後々まで尾を引いてしまう危険性がある。
大きな喪失の体験があったら、悲しみの感情をちゃんと浸り切った方が最終的な回復は早いとは思います。
ーー他にも、日常アニメがないと生きていけなかったりするんですけど、これはゲームに近いのかなと思いました。
いろんなことを感じたくない、世界観に浸り切りたい、脳みそをもう使いたくないっていうか。
それはあるんでしょうねぇ。現実でも人格を使い分けたり、オンラインゲーム上の人格もリアルと使い分けたり、Twitterのアカウントも複数使い分けたり、何でしょうね…その…現世って高コストですから(笑)
ーー「現世は高コスト」(笑) ははは、すごい名言ですね。
あぁ…なんだか気持ちが楽になったような気がします。ありがとうございます。
それでは、次回はより具体的に「生きやすくなるための技術と経験の身につけ方」について伺えればと思います。よろしくお願いします。
ええ、それでは来月、また来てくださいね。お待ちしています。
先生:Dr.ゆうすけ
患者:ノダショー