DON'CRY -ドンクライ-

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生きやすくなるためのコミュニケーション術とは…?【Dr.ゆうすけの生きづらさ診療所】

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「なんとなく生きづらい…」
「どこか閉塞感を感じる…」

そんな僕らが抱える問題について、Twitterで1万人以上のフォロワーがいる人気医師、Dr.ゆうすけさんに伺う新連載【Dr.ゆうすけの生きづらさ診療所】。

患者である僕ノダショーが、月1でドクターの診療所に通います。

今回は第2回。第1回『作品を「逃げ場」にすることはメンタルヘルス的にも正しい』は↓からどうぞ。

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Dr.ゆうすけ

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メンタルヘルスがライフワークの内科医。

身近な人の「死にたい」とか「生きにくい」と触れあって感じたものをことばにするのが好き。

心のケアや、ネガティブ感情とのつき合い方、小さな幸せなどについてつぶやきます。

スプラ2はスシ、スパッタリー・ヒュー、黒ZAPを愛用。ウデマエは最近S+に。

好きな言葉は「勇者とは、勇敢な者ことではなく、人に勇気を与える者のことだ」

 

生きやすくなるための技術と経験とは?

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ーー(扉を開けて)失礼します。ドクター、今月もよろしくお願いします。

はい、よろしくお願いします。

ーー今回ご相談したいのは「コミュニケーション」についてなんです。

やっぱり、他人とうまく付き合うことが苦手だからこそ、生きづらさを抱えてる部分があると思っていて。

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具体的に言うと、コミュニケーションにおいて自分を出すことがすごく難しいと感じているんです。

つまり、ついついドバーって喋ってあとで後悔するか、もう自分を出さずに黙っているかのどちらか。だからいつまでも人と上手くやれなくて……。

うーん、たしかに人との距離を測るのって難しいですよね。

ついついドバーッと話してしまうのは「距離感のつかみ方」の問題ですね。 まずそこからお話しましょう。

ーーはい、お願いします。

 

「距離の詰め方」を身につけるには?

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他人と上手くやれないというのは、まず人間関係を作っていくスキルの中でも、「距離の詰め方」に課題があることが多いです。

例えば、ノダショーさんが言ってくれた「過剰」。つまり、言いすぎですね。

恐らく初対面とか、まだ距離のある人間関係、つまり、「これからお互い知っていきましょう」っていう段階で起こりやすいのだろうと思います。

これは自分のことを、「知ってほしい知ってほしい」っていう気持ちが高まりすぎて、相手が求めているスピード感と合わないから引かれてしまう。

ーーええ、後から「またやってしまった……!なんで学習しないんだ……!」ってすごく凹むことが多いです。

 

位置センサーと加速度センサーの例え

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お互いをよく知らない状態から、少しずつ距離を詰めて仲良くなっていきましょうという段階の時、僕はよく「人はそれぞれの心に『位置センサー』と『加速度センサー』をもっている」っていう例えを使います。

——センサーですか?

はい。まず、「位置センサー」は、「ここまで近づいても良いですよ」っていう距離をオーバーすると、「それは近づき過ぎですよ」って拒絶反応が出ます。

それが出たときは、「ちょっと離れて欲しい」と思うし、心理的にも距離を取ろうとする。

「ヤマアラシのジレンマ」の話がけっこう有名ですが、適切な距離があるはずなんですね。お互いに傷つけ合わず、不快感を感じずにすむような。

対して、「加速度センサー」は、「このスピードくらいで来て欲しい」という速度を超えると、「ちょっと待って待って。そのスピード感、私は想定してないから」ってなってしまう。

「人と仲良くなるのに時間がかかる人」っていますよね。そういう人の慎重さを尊重するといいますか。

例えば、考え方とか好きなものも似ていて、多分良い人だから、「最終的には仲良くなれそう」と思っているのに、相手が急に来すぎてビックリして、上手くいかないということもあります。

ーー身に覚えがありすぎて胸が痛い……。

 

距離の詰め方は、武道の間合いのようなもの

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ちょっと苦い経験があってお聞きしたいんですが……。 ある飲み会で「これが好きで……」って話したら、「わかんないけど、面白そうだね」って言われて。

ふむふむ。

ーーそれで、「あ!この人は受け入れてくれるんだ!やったー!」と安心してドバーーーって喋っちゃったら、「お、おう……」ってなることを、もう何回も重ねてきているんです……。

相手がいろいろと理解してくれそうな人だからといって、ありのままの自分でいけばいいというワケではないんですかね?

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それは、いい経験ですね(笑) 人との距離の詰め方って、武道で言うところの「間合い」みたいなもので、生傷つくりながら学んでいくものだと思うんです。

その場合は、急に間合いを詰めすぎた、早く行き過ぎてすっ転んでしまったというだけです。

重要なのは、「あ、わたしは受け入れてもらえないんだ……」と捉えるのではなくて、「あー、こういう勢いで行くと、こういう感じに転んじゃうんだ!」くらいの軽さで捉えるべき。「これでまた一つ、学んだぞ」と考えた方がいいです。

ーーなるほど…。ということは、あくまで「距離の詰め方」がよくなかっただけで、「自分の人格」が受け入れられなかったわけではない…?

その通りです。

それに、そういうことは僕でもしょっちゅうありますよ。

ーーえ? そうなんですか? ドクターにもそういうことがあるんですか? どういうシーンで?

すごい食いつきますね(笑)そりゃありますよ。

例えば、騒音がある場所で会話をしていたら、声が大きくなって押し付けがましいコミュニケーションになってしまったことがあって。

そうなると、結構営業的というか、自分を売り込むというか、声の大きさに自分が引っ張られて、「僕ってこんな感じなんですよ!」という、あまり好きじゃないコミュニケーションを取ってしまったんです。

それで、帰りの電車で「あぁ〜…」ってすごく反省して…(笑) そんな積み重ねでしかないですね。

——ドクターでさえ、傷つきながら「間合い」を学んでいるんですね…。まさに武道ですね(笑)

ええ、「この痛み、覚えたぞ」って感じですね(笑)

 

なぜ、自分を出せないのか?

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では、次に、自分を出せないってことについて話していきましょうか。

自分をなかなか出せないっていうのは、ベースに「ここで本当の自分を出しても、どうせ受け入れられるわけがない」と思っているから出せない。

おそらくこれまでの経験から、そういう風に学習してしまっているんじゃないですか?

ーーはい、おっしゃる通りです。

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本当の自分を出していくため必要なのは、「安全な場所」で「自分が受け入れられるという体験」です。

「安全な場所」とは、本音で喋ってもここでは否定されないんだ、という安心感を感じられる場所とか関係性のことです。

何かを意見を言っても、「それは違う」「甘い」「理解できない」って言われたら、もう何も言いたくありませんよね。そういう場所は心理的に安全ではない。

ーー分かります。でも、ほとんどの大人は、割と頭ごなしに否定してくる節があると感じます。

だから、自分の意見を言うのはやっぱり怖い…。

 

成熟した大人を探そう

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悲しいですが、それが現状です。 ただ、それでも、信頼できる大人はいるんです。そういう良い大人たちを僕は「成熟した大人」と勝手に呼んでいるんですけど(笑)。

——「成熟した大人」…ですか?

例えば、「私、声ヲタなんです」と言ったら、それだけをもってして「え、キモッ」と言うのは、「成熟した大人」の態度ではないとおもっています。

その見分け方は、「頭ごなしに否定せず、理解できなくても受容できる人」であるかどうかです。

ーーなるほど……。でも、具体的にどのラインからが成熟した大人なんでしょうか?

例えば、実際に僕は「これ好きなんですけど…」って言ったら、「へぇ〜そうなんだ」って言われたことがあって、別に否定されたワケでもないのに、「あぁ…受け入れてもらえなかった!」って後悔してしまいました。

そこは否定しないだけじゃなく、受容までいくところがポイントですね。

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「君はそれが好きなんだね、面白いね」とか「俺はよく分からないけど、面白そうだね」と受容できるのが成熟した大人の態度だとおもっています。

ーーえーっと、つまり、拒絶されない関係性が作れる大人ってことですかね?

そうです。そして、それは「心理的に安全な関係性」なんですよ。

そういう関係性のもとで、本音を小出しにしながら伝えてみて、うっかりでもいいから「受け入れられる」体験を重ねていくことが大切なんです。それが、「安全な場所」で「受け入れられる体験」。

例えばですが、「昔、文化放送を聞いてたんだよね」「緑川光っていう人がいるんだけど…」ぐらいから言ってみて、徐々に出していくと、意外と話を聞いて、受け入れてくれる人がいたりする。

ーーなるほど、まさしく「うっかり受け入れられる」ですね。

 

安全な関係性を通じて「距離の詰め方」を磨く

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そうやって、「アレ?意外と否定されないんだ」という経験を少しずつ積んでいくことで、徐々に人間関係の足場ができていく。

そうすると、最初の方に言っていた「距離の詰め方」も客観視できるようになっていくんです。

ーーあ、ここで戻ってくるんですね。

心理的に安全な関係性があると、「距離の詰め方」において、いろいろな試行錯誤を繰り返すことができます。

この速度でいくと引かれてしまう、このぐらいの塩梅なら関係が維持される、そういったことを学習できる。それで、「距離の詰め方」を鍛えられるんです。

 

受け入れられない体験は、確率と環境を考えて

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ーーただ、それを信じて「安全な場所での受け入れられる体験」を求めても、受け入れられない体験を重ねることもあると思うんです。なかなか成熟した大人に会えないとか。

そうですね、連続して10人20人に受け入れられなかった場合っていうのはどうしてもあります。でも、それは「たまたま」かもしれないんです。

これはぼくが尊敬する精神科医の松本俊彦先生のコトバなんですが、

誰が信頼できる大人か分からなくても、少なくとも家族以外の大人で三人には相談してほしい。

価値判断を押し付けたり、説教する大人も多いと思います。

でも、これは経験則ですが、三人に一人くらいはそうでない人がいると思うんです。

というのがある。この三人に一人っていうのは僕の肌感覚とも一致しています。

でも、その分布には物凄く偏りがある。やっぱり、未熟な大人の周りには未熟な大人がいやすい。

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逆に、成熟した大人の周りには成熟した大人がいやすいんです。

だから、たった一人素敵な人をひき当てさえすれば、そこから芋づる式にいい人たちと知り合えて、周りの人間関係が一気に変わることもある。

例えば、生まれ育った環境や、入った学校が合わなかっただけということもあります。過去にそういうことはありませんでしたか?

ーー確かに…僕は高1の時にクラス全員からハブられていましたが、学校も家も離れた、バイト先やネットを通じたオフ会でなら、話してくれる大人が見つかりましたね……。

まさに、そうなんですよ。そういう人は、今までの生活空間とは全く違う所にいたりする。

「10人20人いても1人もそういう大人と出会えなかった。だから、もう世の中に背を向けた方がいいんだ」って負の学習をしてしまっている人は多い。

でも、諦めないでほしいんです。同じような集団の中で空振りをしているだけかもしれないから。

ーーなるほど。うっかり受け入れられるチャンスは、ちゃんとあるっていうことなんですね。

ええ。それに、そういう人は得てして繊細さをあわせ持っている。

だから、「この人だったら安心かもしれない」という相手を引き合てる力もちゃんと持っているはずなんです。

なにより、本当の意味で受け入れられたっていう体験は、これまでの失敗が全部報われるぐらいの衝撃的な体験です。

 

100回三振しても、1回のホームランで、そのすべてが報われる

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(第1回イベントより / 2016年10月)

ーーそれはすごく分かります! 

僕もドンクライで生きづらさを抱えた人たちとオフ会を開いて飲んだ翌朝は、「こんなに心が穏やかな朝を迎えたのは生まれて初めてだ」と思えました。

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それって、個人としてのハピネスの本質だとぼくは思っているんです。

死ぬ時にどういう人とどれだけ特別で親密な関係性を築いたかってことが、人生の質を最後に決めるうるモノだと信じていて。

大きな社会的な業績を残したかということよりも、「私はこういう人たちとこれだけ親密な関係を作れた」っていって死ぬことができれば、少なくともぼくにとってはとても豊かな人生だったと言えるんじゃないかと思っています。

ーーなるほど、成功者じゃなくていい、関係の中に人生の価値を見出してもいいんですね……。

なんだか、また心が楽になった気がします。ありがとうございます。

いえいえ。

ーーそれでは次回は、「他人からの評価と、自己肯定感」について伺えればと思います。よろしくお願いします。

ええ、それでは来月に。お待ちしています。

 

第1回『作品を「逃げ場」にすることはメンタルヘルス的にも正しい』はこちらからどうぞ。

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