DON'CRY -ドンクライ-

アニメやマンガ、ゲームに小説、音楽など、「作品」によって孤独から救われて生きている人のためのメディア

『フリクリクリ展』がサイコーすぎてバカになる!今すぐいこう!走っていこう!!

4月4日、渋谷。夏を感じる熱気にジリジリ焼かれながら歩くと…

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なんと長蛇の列ッ! こ、この列は一体...!? 早速その先へ行ってみよう!

 

「おい、待てよ」

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え?

「お前に言ってんだよ。なに俺を素通りしてんだ?」

え、だ、だれですか、あなた…(なんでクソ暑いのにスーツにグラサン…?)

「は? ドンクライ編集部のカエデ、そしてMr.フリクリ大好きマンとは俺のことだろ?」

し、知りませんよ…。

「シャラップ!!!」

ひっ…ひィ!

「俺はなァ…4月4日(火)から、ここ渋谷GALLERY X BY PARCO で「フリクリ」好きな"クリ"エイターが集う展覧会、「フリクリクリ展が開かれるって聞いた瞬間から、この日のために生きてきたんだよッ!!!」

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(あっつくるしいなぁ…眉毛太いし…)
って、え、なんか眉毛についてますよ? ノリ…?

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(出典:©ビデオマーケット https://www.videomarket.jp/regist/prm

「アマラオだよッ!!!!!!!!

はぁ…アンタバカぁ? 『あ、アマラオだ!』って反応できないとか、この21世紀に何したらそうなれるんだよッ!? というか、フリクリ見たことあるのか? OVAとしてここまでガッチガチにキマッた作品俺は知らないんだよッ。『新世紀エヴァンゲリオン』で副監督を務めていた鶴巻和哉の初監督作品で、あれは思春期の「俺たち」なんだよ! あの岩井俊二監督からも評価を受け、海外での人気がかなり高いのも作品の特徴だし、単にアニメーションだからではなく、映像と演出で十二分に楽しめる。それに挑戦的な演出表現も織り込まれていて、カメラワークや漫画のコマ表現、さらにEDは実写コマ撮り。あのEDに出てくるベスパは鶴巻監督の私物らしいが、あの撮影のせいで壊れたのは有名な話で、

(クッソ長いので切りました※編集)

 

『フリクリクリ展』が待っている!!!

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「ハァ…ハァ…まぁいい。こんなところでフリクリ談義している場合じゃねぇんだよ…オラ行くぞコラオラ!!!付いてこい!!!」

ちょ、マイク奪わないでくださ〜〜〜い!!!(会場にIN)

※ここからは会場で流れていた音楽を聴きながらの閲覧を推奨します※

オイオイBGM! わかってるじゃねぇか…!!! って…え?

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おいおい、マジかよ...。

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す、すげえええ盛り上がりじゃねぇか!

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ハッ! さ、貞本義行さん!?

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こっちには平松禎史さん!!!!!

おいおい、マジかよ!これ全部撮影していいの?後で怒られたりしない? 

ん? ハイ、なんでしょう?(店員さんに話しかけられる)

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え…これもらっていいんですか? ッファーーーーー!! NEVER KNOWS BESTシガレット型のクッキーとかめっちゃいい!!! 実際にたばこの「 NEVER KNOWS BEST」って書いて吸ってたよねーーーー!!

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あ、こっちにあるコレは…第5話のコンテ!!!
今石洋之さんの絵コンテじゃないか!!!

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あひゃ~~~~~~~!!見放題だ!! 全6話分のコンテがここにある幸せ!!時間が足りない!

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やっべ!もうレベルが高すぎる…これを見ただけで映像のシーンが頭で容易に再生できる!!もはや早く家に帰ってフリクリが見たい!!

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っとおーっとっとーーーー!!!! こ、これは伝説のマンガ演出シーンじぇねえかーーー!!

 

コラボアーティストのイラストも!

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うひょーーー!こっちには、大好きなNC帝国さんメイクのヘルメット!え、被っていいの??ちょっと…もう…めっちゃ好み過ぎるんだが…。売ってほしい…言い値で買う。

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あ、ORESAMAのジャケ絵でお馴染みのUtomaruさん!うわ~~~~これ見せてもらっていいんですか?絵柄と世界観のシンクロがハンパでない!!

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オイオイ、こっちは物語シリーズのEDもやってたウエダハジメさんじゃん!フリクリのコミカライズはウエダさん…そのウエダさんのフリクリ絵が見れる2018年ってバグってない?だいじょうぶ?

 

物販もハンパないぜ!

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あっあ…Tシャツ…かっこよい…今年の夏ずっと着回してたい…。

ステッカーもストリート感がイケてるし、フリクリ各話タイトルロゴのキーホルダーはマストバイでしょ!!(この後、2万円ほど購入

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あ、ガチャガチャだ!!! 全6種類だって…!? 

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カンチこい!カンチこい!

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やったーーーーーーー!!!カンチきたーーーーー!!!

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やっほーーーい!!フリクリクリ展、最高だよ!

 

終わりに…

「…」

あ、なんか、すいません、カエデです…マイク返します。冒頭エラソーなこと言ってすいません。

なんというか、全て忘れて楽しんでしまいました…。会場入る前はものすごくフラットな気持ちでいたんですよ、ほんとに。

でも、正直「フリクリクリ展」の文字見た瞬間から子どもになってしまいました。

いやね、間違いなく言えるのは、それくらい楽しくて魅力的な展示会なんですよ!

9月には『フリクリ』の新しい映像が2本も待っている中で、この展示会に来ないのはあまりにモッタイない!! 『フリクリ』好きならマストゴー。『フリクリ』知らなくても、これをきっかけに楽しめるはず。

ただ、『フリクリクリ展』は待ってくれない。なら、自分が行くしかないんじゃないの? 俺はいくぜ!明日も今日も明後日も!いろいろすまんかった!あばよッ!!!

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あ、眉毛が…。
(のちほどカエデが美味しくいただきました)


「フリクリクリ展」
会場:GALLERY X BY PARCO (渋谷区宇田川町13-17)
期間:2018/04/04 (水) -2018/04/15 (日) 11:00-20:00
入場料:無料

www.parco-art.com

 

希望はみんなで作り出す!1軒屋に30人が集結した『大編集会議!!!』がエモすぎて号泣した

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どうも!編集長のノダショーです。

3/31(土)夜、つまり昨晩、ドンクライ『大編集会議!!!』が開催されました。

いやー……もうね、あまりにもエモすぎる空間だったので、これはレポらない訳にはいかない!

結論をいうと、ここで多くの希望が見えたんです。「未来のオタクはもう泣かない!」が新コンセプトとなったドンクライ。その片鱗は、きちんとこの空間に息づいていた。

では早速、ご案内していきましょうか!

 

狭い路地を抜けると、そこはエモ大爆発空間だった

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東京、広尾の商店街の一角…。豆電球ともる、狭く暗い路地。

普段ならば絶対に入らないであろうその場所を、勇気を出して進むと…

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ドドドドンッ! 現れたるは『大編集会議!!!』ッ!

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今回はリノベーションされた一軒家を貸切り、1階と2階ロフトの2フロアで編集会議を開催。

「参加者は多分20人くらいだろ」と想定していたのですが、完全なる誤算ッ! 約30人の読者がこの場に大集結!

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築100年の古民家から持ち込まれた木の梁に支えられ、A~Eの5班に分けられたグループの熱く楽しい議論が花開く。

では、この集まりのどこに「希望」があったのか? 3つほどフォーカスフォーカス!

 

その壱:悩みも熱狂も、企画に昇華!

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そもそも今回のイベントの目的とは、同じ悩みや興味関心を持つ自分たちにとって必要な情報を、自分たちで考えることでした。

では実際にその目論見は成功したのか…?

即答ッ! 大成功でした。

アイスブレイクでは、「最近こんなことがあって…」という悩みや、「これに自分(または友人)が死ぬほどハマってるんだけど…」という熱狂を他人と共有する。

すると、グループ内から出る声は「あぁ〜〜〜わかる!」「そうだよね!」という共感の言葉…そして、知らないものだったら「へぇ〜そんなのがあるんだ」「面白いね」という声!

否定せず、理解しようとする意思をもつのがドンクライのスタンスですが、読者(と書いて友と読む)の皆さんは、その意思をきちんと尊重し合っていた。本当に凄いよ!すき!

そうして、肯定されながら、ついでに「もっとこうしたら面白くなりそう!」という声ももらいながら、誰かにとっての意義ある情報、そして希望になるための「企画」に変わる瞬間はやりたかったことそのもの! 発表し、歓声が上がるのもエモかった!

 

おまけ:実際の企画は?

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さてさて編集会議なんだから、当然、この疑問を持つことでしょう。ということで、発表された企画を3つほどご紹介!

①文化系マッチョが掘られるレポ

テンションがアゲな企画に贈られる「ポインティな記事で賞」と、参加者が選ぶ「読者大賞」をダブル受賞した圧倒的にヤバい企画!

「女装してみたら『かわいい』って言われるのが案外気持ちよかったんです…」という体験をした男性が、ひょんなことから女装男子モノのAV監督と知り合いに。

そのことを話したら、なんと「出てみないか」という話に!

一世一代の決意でOKしたので、その撮影の様子をレポしてみたいという企画。いやーこんなの気になり過ぎるでしょ…。

②『ゲームやる勢 VS 実況で見る勢』

ゲーマーだった旦那様からゲーム『龍が如く』をプレゼントされた方による悩みから生まれた企画。

プレイして興奮し、そのシーンを旦那様に話そうとすると返ってきた言葉はなんと「ごめん、俺実況で見てるから、そこ分かんない」。なんでだよ!というツッコミ必至のシーン。

そう、ゲームやる勢と実況勢の間には、間違いなく隔たりが生まれているのです。

そこであえて『ゲームやる勢 VS 実況で見る勢』という形でぶつけてみる。両者の隔たりを埋め、お互いを理解し、思いやる。ドンクライらしいし、普通に読みたい!

③プロになれなくても戦う!格ゲー大会、巣鴨杯レポ

格ゲーマーの聖地として知られる巣鴨のゲーセンでの大会レポ企画。パンチが一発決まるたびに歓声が上がり、負けたことに涙する。

彼らはe-sportsでプロを目指している訳じゃない。それはさながら草野球。

「プロにもなれないのに、なんでそんなに頑張っちゃってんの?」という冷ややかな声もある。

でも、「こいつよりも強くなりたい」「このゲーセンの一番になりたい」という根源的な欲求が彼らに努力を強い、家から出てゲーセンに向かわせる。

でも、それだって、自分たちなりに他者と繋がる手段なんだ! パワーを感じるエモすぎるレポに期待し、アツい企画に贈られる「とっても夏で賞」を受賞。

ちなみに、もっともドンクライらしい企画に贈られる「編集長賞」は、『参加者目線のイベント行ってみたレポ』が受賞。

残念なところも紹介されると思うので戦々恐々なんだぜ…。来週中に掲載予定なので、お楽しみに!

 

その弐:希望は記事に、そしてまだ見ぬ友へ

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自分たちが「面白い!」と応援したものが未来に実際に現れることの興奮よ!

編集会議での「ヤバい!」「面白い!」って反応は果たして本当に再現されるのか? それを見守るとこまで含めて、大きな楽しみなんじゃないかと思うんです。

もちろん、いくつかの企画は記事化に向け、既に動き出しています。

みんなの悩みや熱狂から生まれたアイディアが、同じ悩み・くすぶりを抱えているまだ見ぬ友の生きづらさや閉塞感を和らげられたら、そんなに素晴らしいことはない!

 

その参:心から話せるつながりができる

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フィナーレはこれで決まりだ!

ドンクライの読者であることは、生きづらさや閉塞感を抱える日々を、カルチャーに癒されながら生きているということ。

だからこそ、距離感の近さが圧倒的ッ! 無理せず、お互いの悩みもライトに話せるし、大好きなアニメでバカみたいに盛り上がれる。

「コイツらと飲みたい」という気持ちが加速させるのか、度数が高い「ストロングゼロ」の方がビールよりも早くなくなるという始末。

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花見では簡易版「よりもいオフ」が開催されたり、エイサイハラマスコイおどりが行われたり、性癖や家族の悩みを話し合ったり……。

ドンクライ読者が集まるとなぜか起こる、普通の飲み会では目撃できないような、笑いもシリアスも受け入れてくれる懐の深さがいかんなく発揮されていた。

そう、ここにくれば、いつでも受け入れてもらえる。それはきっと、大きな希望に違いないと思うんです。

ちなみにクソ恥ずかしいのですが、僕は安心と感動からかストロングゼロのロング缶を5缶くらいキメて、

もうヤダぁ〜〜〜…生きるのがつらいよぅ〜〜〜〜…!!!」とガチ号泣しながら土の上でのたうってたそうです。(覚えてない)

 

届いていたのか?

それでも、このイベントの意義が僕だけの中にあるなら意味がない。それは届いて初めて価値を持つ。だから、とてもとっても不安だった。

でも、二日酔いの頭痛に殺されそうになりながらも、昼過ぎにもそもそ起き上がり、ツイッターを開いたら、来てくれた読者からいくつも感想が寄せられていたんです。

「知らない世界、新しい出会い、色々な考え…。そんなものに出会えて、本当によかった」

「アニメ漫画以外にも好みな変な話できる人が多くて楽しかった」

「もはや1日あったとしても、オタクとしてのその人を知ることはできないと学べた…」

「楽しすぎてはしゃいでしまった。開催してくれてありがとう。ドンクライ作ってくれてありがとう」

昨晩からこれしか言ってない気がするんですけど言わせてくれよ…。

ありがてぇ…本当にありがてぇよ…!!!

 

混迷する現代にドンクライが存在する意義とは?

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イベントを通じて、再度このことを考えさせられました。

わかりやすい幸せであった「正社員になって結婚し、子供をもち定年まで働き、庭付き一戸建てを買う」というような従来の「普通」の幸せがもはや贅沢となり、旧来の理想が崩壊してしまった。

僕らは行き先や目標を失い、過ぎゆく日々に真綿で首を少しずつ絞められているような閉塞感を覚える。

だからこそ、それを打破するコミュニティに、希望に、自分たちがなる。それは大きな意義だと思うんです。

でも、そんな僕らも、小さな矛盾をはらんでいるんです。

僕ら一人一人はやっぱり聖人君子じゃない。汚れも抱えた人間だ。だから、相互理解をしたいと願っても、自分の中のどこかに偏見の目があったり、無意識に誰かや組織を敵対視したり、憎悪することで精神を保ったりしていることがきっとある。

でも、それらを無視せず、向き合う柔軟な心と想像力をもつこと。清濁あわせ飲んで、泣いて笑って叫んで、この混迷する現代を生き抜くこと。

少なくとも僕1人だと絶対できない。心の弱い存在だから。だけど、今回のイベントを通じて、読者と書いて友と読む皆さんと共になら、やっていけると思ったんです。

希望は騙るな、作り出せ。

新生ドンクライ、ご期待ください!

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www.doncry.net 

書いた人:ノダショー(ドンクライ編集長)

未来のオタクはもう泣かない!DON'CRYは4月から深化します

どうも、編集長のノダショーです。

一つ前の記事でも書きましたが、ドンクライは4月からコンセプトを深化させます。早速、結論からいきましょう!

 

「今ここにある閉塞感・生きづらさをカルチャーで和らげる」

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第2回イベントより

「未来のオタクはもう泣かない。」

これが僕らの新たな目標であり、コンセプト。だから僕たちは、その未来に向かって、今10~20代の中にある閉塞感・生きづらさを和らげるカルチャー情報・居場所を作り出すメディアを目指します。

しかし、そもそもなぜ、いま10~20代はそういった問題を抱え込んだのか? きっと、それにはまず、世代的なものがあるはず。

成長はもうないと言われている。結婚して子供持って庭付き一戸建て買うなんてもはや贅沢。旧来の理想は崩壊してしまった。

なら、仕事よりもまず趣味を楽しく生きたい。オタクなんだからなおさらだ!

だとすれば、どこに向かっているのかもわからないこの現代を、この夜を、まずやり過ごさせてくれる刺激的なモノに囲まれたい。

可愛いもの、カッコイイものが好きだ。

「お前らダメだな!」Vtuberやアイドルのそんなちょっと乱暴な言動が好きだ。

めっちゃ凹んでる時に食べる、至極のメシが好きだ。

でも、それでいて、そんな軽い情報だけじゃやってらんない! やり過ごすこの空虚さの正体を教えて欲しい。

「認められたい、褒められたい」承認欲求が暴れて苦しい。

「上の世代が理解できない」だから排外してしまう。

「なんのために生きてるのかわからない」ふっと消えたくなる夜がある。

そんな切実な悩みや、面白いモノについて酒を飲みながら、時にギャーギー笑いながら、時にう〜んと悩みながら、語れる仲間が欲しい。

「あれヤバくね?」「ヤバい!いいよね!」と言えるだけで楽しいし、「なんで?」「こうじゃね?」と言えるだけで嬉しい。

そのために、フラッと行ける距離感で受け入れてくれる居場所が欲しい。

なら、それは全部、僕らドンクライが作り出す。

親しみやすく、バカらしく、それでいて深い!

「今ここにある閉塞感・生きづらさを和らげる」

未来のオタクはもう泣かない。それがドンクライ!

 

救われたドンクライメンバーたち

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第1回イベントより

さてさて、結論から言いましたが、そもそも何でコンセプトが変わったのか?

ドンクライは企画から間も無く1年。記事を通じて沢山の批判もいただきましたが、同時に、記事合計2万シェアを超えて、沢山の賞賛もいただきました。

でも、それらは正直にいうと、大して重要じゃない。

なぜなら、このメディアを立ち上げた目的は、あくまで「自分たちのように孤独を抱えたオタクが、ドンクライの記事や、紹介する作品、イベントを通じ、孤独から救われること」だったから。

そして、その点における一番の誤算は、思ったより早く「ドンクライメンバーが救われてしまったこと」なんです。

 

同志と語る場を手に入れて

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第2回イベントより

編集部員やライターたちは昨年4月、まだバラバラな他人であり、孤独だった。アニメやマンガ、ゲームなど、オタクカルチャーに救われて何とか生き延びてきたものの、人と繋がり合っていると感じることはできなかったからです。

でも、まず編集部員が集まって語り合い、次にライターと膝を突き合わせて記事を作り、最後にイベントを通じて読者と触れ合い、「自分が救われた作品」を語り明かすことでその孤独は癒された。そう、救われてしまったんです。

www.doncry.net

だとすれば、一緒についてきてくれた読者を含め、そんな僕らがこれからも「孤独なフリ」を続けることは、明らかに不誠実。

じゃあ、これまでのようなことをやめるのか?

否ッ、やめません!

ドンクライはこれからも「作品に救われた体験を語り合う場」であり続ける。僕らがそこで救われたのだから、そこで同じように救われる人がこれからもいるはず。

それは「必要だった、もういらないもの」じゃない。「必要な人がいるもの」のはず。ならば、消すべきじゃない!

それは通ってきた道に糸を垂らし、後から追いついてきたまだ見ぬ友人のために、道標を作るようなものなんです。

 

「じゃあ、今はもう辛くないんですよね?」という疑問

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さて、それから数ヶ月前、唐突に飛び込んできた疑問がこちら。

でも、「辛くないわけない!!!」んですよね。

悩み Never Ends。むしろ、孤独を超えた先に、こんなに大きな生きづらさや閉塞感という「壁」が立ちはだかっているとは思わなかった訳ですよ…。もうハッピーエンドくらいの気持ちでいたら、孤独はなんと1面のボス、4天皇の中でも最弱だったという。

だから今でも強烈に「わかんないけど、なんか、どっか辛いんだよッ!!!」っていう状態がどうしようもなく存在する。そこで、僕らに必要な情報を再定義する必要に駆られ、生まれたのが先に書いたドンクライの定義な訳です。

でも、僕らにとってそれはあくまで「孤独」⇨「生きづらさ・閉塞感」という一繋ぎのもの。だから、変化じゃない。入り口は今まで通りだけど、中は広く、深くなる。深化なんです。

 

他のメディアと何が違うんだ?

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では、総まとめといきましょう。他のメディアと僕らは何が違うのか?

即答! 「生きづらさをカルチャーで解消する」というコンセプト。これまでもこれからも、僕らにとって一番大きな違いはコレでしょう。

でも、僕らは深化するにあたって、嫌いなもの、つまらないと思うもの、距離をおきたいものの6ヵ条を宣誓しておきたいと思うんです。

①見たことある平凡なものを出す
⇨常に意外性と驚き、新たな発見を提供します!

②情報の横流し
⇨ただのリリース記事はやりません!

③理解する努力をしない
⇨面白いならなぜ面白いのか、つまらないならなぜつまらないのか、嫌いならなぜ嫌いなのかを言語化します!

④理解できないものを排外すること
⇨想像力を働かせ、思い遣ります!

⑤自分が読んでつまらないものを出すこと
⇨自分も読者。だから、自分が読んで面白いものを出します!

⑥知識でマウントすること
⇨オタクなら「好き」で語ります! さらに表現者なら「好き」を「面白く」語ります!

以上ッ!

この宣誓は自らの首を締め、ケツに火をつけ、考える努力を強いるでしょう。

努力は辛い。けど、努力をしなければ、まだ解決されていない「生きづらさ・閉塞感」にアタックすることなんて夢のまた夢!

メディアは読まれてナンボ。その上で読んでくれた人が幸せになって欲しい。誰のためのメディアかなんて問われなくても分かる。同じ興味関心や問題を抱える、僕らとあなたたちのためだ! なら、そのための努力は必然です。

だからこそ、ぼくらの視野が狭まり、間違えて進まないよう、読者(と書いて友と読む)の皆と一緒に進んでいきたいんです。先の見えない現代という洞窟を、かがり火を焚いて共に進みたいんです。

その体現であるイベント、今週末の読者参加自由の大企画会議は幸い、一週間足らずで満員。ありがたい、本当にありがたい。

僕らが生きる未来は確かに暗く、混迷を極めているのかもしれない。高度経済成長期みたいに分かりやすい幸せは、きっと僕たちには掴めないだろう。

でも、そんなことは僕らには関係ない。僕らは泣かない!

だって、僕らに必要な希望は、僕らで考え、僕らで作る。それがドンクライなのだから!

書いた人:

twitter.com

【満員御礼!】3/31(土)20時からは誰でも参加の『大編集会議』!!!語って飲んで考えて、一緒に読者にぶっ刺そう

ドドドン!!! どうも、編集長のノダショーです。

週末にまた別途詳しい記事を出すのですが、ドンクライは4月からコンセプトに大きな変化が生じます。

 

過去⇨未来にボールを投げる

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その変化を一言で表すなら、「過去から未来へ」!!!

今までのドンクライは「過去」、例えば、アニメやマンガやゲームに「救われた」当時の自分に向けてボールを投げてきました。

ですが、「じゃあ今はもう辛くないんだね」なんて言われたら…?

いやいやいやいや、苦しいよ!!!

どこに向かって生きてんのかよく分からないから閉塞感があるし、結婚して子供を持って庭付き一戸建て買うなんてもはや贅沢。旧来の理想は崩壊。

とっておきには、なんかよく分からん焦燥感に駆られて胸の奥がいつもチリチリしてんだッ!

ということで、ドンクライは今ここで僕らが抱えている生きづらさを解消するために「未来」に向かってボールを投げるカルチャーメディアを目指します。

 

大編集会議、ここに開幕!!!

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(第2回イベント)

でも、編集部員で数時間にわたって喧々諤々議論してもどうしたって視野が狭い。(編集部員の佐伯といなだはすぐエロに持って行くし)

そこで! ドンクライをいつも読んでくれている読者(と書いて友と読む)の皆さんの力を借りたいのです。

僕らの抱えるよく分からん苦しみや退屈さ、焦燥を言語化しつつ、編集部がない知恵絞って考えたコンセプトも伝えながら、これからのドンクライの企画を一緒に考えていきたいのです。

そもそも、ドンクライとは「孤独にアタックできるカルチャー情報」が世の中になかったからこそ、「じゃあ自分たちで作るしかないか」と同志が集ってDIY精神で生み出したメディア。

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(イベント第1回)

読者に読まれ育てられ、イベントで対話して考えて、今ここに存在します。

なればこそ、メディアが変わる転換点に読者のみなさんの視点は不可欠!

情報なんて読まれなくちゃゴミ同然。誰のためのメディアかなんて問われなくても分かる。同じ興味関心や問題を抱える、僕らとあなたたちのためだ!

企画を立てたことがないとかそんなことは一切関係ない。学生?大丈夫。僕も初めてオフ会に行った時は15才だった。職業・性別・性癖ぜんぶ関係ない。

ただ、あなたたちに必要な情報は、あなたたちと考える。それがドンクライの立場!

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(第2回イベント 2次会)

ということで、3/31(土)20時、渋谷にて『大企画会議』開催! 来てくれる人はドンクライの公式ツイッターに「いきます」の4文字でいいのでDMください。

twitter.com

すぐに詳細をお送りします。参加費は食べ飲み代で3000円ほど。

 

面白い企画は記事化を約束

みんながあげてくれた企画をみんなでウンウン唸りながら考えつつ、「それヤバイ!」「読みたい!」「知りたい!」ってなった企画は記事化を約束。

本人に意思があれば、書いたり協力してもらうかも…?(絶対に強制はしない)

そして間違いなく、ドンクライの読者同士という時点で仲良くなれるので、友達作りにきてもいい。

最悪、企画何も思いつかなかったら、もう今期1のアニメを決めよう。『よりもい』『ゆるキャン△』『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』でまずは戦争だ。

と、そんなわけで、待ってますよ!

ツイッタラーなのに『シェイプ・オブ・ウォーター』見てないやつ一生黙っててほしい

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※この記事はネタバレを含みます

『シェイプ・オブ・ウォーター』は最高だ。涙なしには見れない。

でもな、ツイッターで「アカデミー作品は利権とか政治的な〜」とか能書き書き垂らして見てないやつは、さっさとブラウザ閉じて一生ウェス・アンダーソン見て女を頭ごなしに口説いてろ。その世界で満足して一生マスターベーションしてくたばってろ。DON'CRYのブックマーク外して、ブックマークのほとんどがXvideoで埋まってろ。

もうね、それくらいに、DON'CRYの読者の人に見てほしい一作なんですよ。

「オタク」とか「LGBT」とかみたいな社会的マイノリティである人間も、SNS、特に興味関心で繋がれるツイッターで救われていることを知らしめた。

同時にツイッターのようなSNSで、俺たちは本当に繋がれているのか問う作品なのだ。

 

『シェイプ・オブ・ウォーター』はツイッタラーを全力で殴り、全力で抱きしめる

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見た人は飛ばしてほしいが、『シェイプ・オブ・ウォーター』のあらすじはこうだ。

清掃員として政府の極秘研究所に勤める発話障害のイライザは孤独な生活を送っていた。だが、同僚のゼルダと一緒に極秘の実験を見てしまったことで、彼女の生活は一変する。 人間ではない不思議な生き物との言葉を超えた愛。それを支える優しい隣人らの助けを借りてイライザと“彼”の愛はどこへ向かうのか……。

さて、「不思議な生き物」と「声の出ない女性」。この組み合わせに悲哀は感じるが、作品を見るかぎり2人はとても幸せだ。

たとえ周囲が2人の関係を非難しようとも、「会話ができない」という障害を抱えた二人はおのずと共鳴し、惹かれ合う。

もうこの時点でさっさと見る理由をわかってほしい。例えば、ミリオタのやつがいたとして現実で、

「ルノーFT17は世界で初めて旋回式砲塔を装備した戦車でさ、乗員区と機関区を区切ったことにより操縦性が格段に向上したんだ。今までの戦車の欠点であった車内の環境を改善させた。もちろん、小型で2人乗りのことからも高く評価され、各国に多大なる衝撃を与えたんだよ。」

なんていきなり言おうものなら即座に「キモい奴」認定待ったなしだ。

けど、ツイッターなら、そういうことを聞いてくれる奴なんていくらでもいる。

社会的に「キモい」「可愛そう」「惨め」とか思われようが、俺たちにはツイッターに俺たちのコミュニティがある。

社会でマイノリティに見られようが実際には関係ないでしょ。だって俺らは幸せで理解しあい、笑っていられるんだから。ぶっちゃけ外様の声なんて右から左に聞き流していい。

SNSという巡り逢いの場所に、分かり合えるコミュニティやコミュニケーションがあり、俺たちは決してひとりぼっちではなかった。

 

でも、ツイッターで本当に俺たちはつながっているのか?

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ただ同時にデル・トロ監督は俺たちに問うている。

インターネットが繋がりを拡張する中で、「不思議な生き物」を直接見たときに本当に俺たちは受け入れられるのか?と。

(デルトロ監督)「今の世の中は、ソーシャルメディアのおかげで、いまだかつてないほどコミュニケーションが盛んに行われていますが、それと同時に、いまだかつてないほど寂しさを感じている人が多いと感じます。

皆、率直な気持ちや感情を見せたり伝えたりすることに対して、大きな不安を抱いている。無関心を装ったり、皮肉や嫌味を絡めたりしないと、コミュニケーションが取れない人も大勢います。」

「ありのままの相手を想う、心からの美しい気持ち『シェイプ・オブ・ウォーター』監督インタビュー」シネマズ より)

俺はTwitterに住み着いているからいろんな人のツイートを見るけど、正直、そこでつながっている人は友達とは言い切れない。

デルトロ監督の言う通り、表面的というか、その人の本質が見えにく中でおチャラケたり、ふざけないとコミュニケーションが取れないこともある。それはリアルで対話をするときにあまりにも不自然だからだ。

加えて、率直な気持ちや感情を見せたり伝えたりすることに対して、不安を抱かせる揶揄が確かにツイッターには存在する。

例えばだけど、こんなツイートをしている奴にはとことん物申したい。

うるせぇ! 気にしてるやつもいるからやめろ! 俺とか!

同じように、ねじれたコミュニケーションにだって物申したい。

私かわいいって言えないから言ってほしいんだろう。でもな、可愛いんだから安心しろよ!

下手? バカ! うまい! じょうず!

他にも「FF外から失礼します」もよくわからん。ネットなんてほとんどが知らねぇ奴の集まりなんだから、変にかしこまる必要あるか?

さて、こんなねじれたコミュニケーションしか出来なくなっているツイッター界とは対照的に、劇中の登場人物はふれあいの中で喜び、傷つく。

会話のコミュニケーションができなくとも、彼/彼女らは互いに尊敬しあい、情愛が生まれ、たくさんの「ありがとう」を捧げ、涙を流す。

でも、ツイッターはどうなんだ? 現実での付き合いもなにのに、「俺〇〇と相互フォローなんだよね」って自慢してくるやつもいる。

たとえそこに喜んだって、Twitterは何か一つでも嫌なことがあれば、ボタンひとつでさようならだ。あまりに淡白なふれあいの中で、一体どれほどの「ホンモノ」がある?

例えば、Twitterで悪く言われても大して傷つかないが、会ったことある人に言われれば100倍傷つく。それは多面的で複雑な自分を知られているからだろう。

とどのつまり、俺たちはどれだけ「ホンモノ」なんだろうか?

 

「SNSで世界はかつてなく近づいたが、同時に離れた」の意味とは?

ネットがない時代は興味関心でつながること自体が難しかった。

でも、ネットができ、興味関心でつながるツイッターができて、確かに人は近づいた。

だが、そこでは歪でねじれたコミュニケーションが行われ、本心を見せることはない。

そこでの繋がりは「お世辞を言い合う友人」のように不自然だ。

例えば、ポケ廃でつながった人が、ある日突然、写真クラスタになったとする。その場合には関係は切れるだろうし、むしろ「なんなんだ?」と影で糾弾するかもしれない。

さぁ、『「不思議な生き物」を直接見たときに本当に俺たちは受け入れられるのか?』の問いに帰ってくるぞ。

相手は生身の人間で、「ホンモノ」だ。それゆえに、いつだって「不思議な生き物」になりうるはずだ。ポケ廃がいつ写真クラスタになったっておかしくないんだ。

でも、歪でねじれたコミュニケーションがホンモノだと錯覚してしまえば、そうであることを理解できなくなる。近づいたその人との間にあるのは浅く、1面しか知らない関係だ。

だから、「不思議な生き物」に変化してしまった時、抱擁できない。どんだけそれまでにポケモントークで盛り上がってようが、関係は崩壊し、永久に消え去る。その関係は泡のように脆い。虚しさを感じない方がおかしいよな。

そう、これが「SNSで世界はかつてなく近づいたが、同時に離れた」の真意だろう。

じゃあ仮にさっきの例で、もし本当につながりあっているとしたら、そんなことをするだろうか?

おそらくまず、「なんでそうなったの?」と話を聞き、たとえ理解できなくても「寂しいけど、自分にとって面白いものを見つけたんだな」と許容できるだろう。大事なことだから2回言う。たとえ、理解できなくても、だ。

手前味噌で恐縮だが、ドンクライはツイッターを活用してユーザーと繋がってDMでやりとりをするし、一番大事なものをリアルのイベントと位置付けている。

そこで酒を飲み、勇気を出して一歩踏み出して生きづらかった境遇を話し合い、理解できなくても認め合う。「かわいそうに、変な奴だな」と上から目線で同情するのではなく、「こいつはこいつで救われているんだな」と対等な立場から共感し合う。

繋がれるネットのいいところは取り入れるが、俺たちには捻れ、離れたコミュニケーションなんていらない。裏垢女子と勝手にやってろ。

 

孤独を抱えたまま生きていい

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(出典:amazon / DU BOOKSより)

『シェイプ・オブ・ウォーター』は「愛と映画」の物語だ。魚人と声の出ないヒロインがそのまま愛し合う、ありのままのピュアな物語だ。

現実には理解してくれない奴もいる悲しみもあるが、理解してくれる奴がいる喜びもある。

だから、とり繕う必要はない。無理に認められる必要もない。

魚人であること、美少女アニメが好き、男だけどスカートが履きたい、裸足で歩くことが好き、ルギアでヌケる、それが「孤独」であろうともいいじゃないか。

ありのままの自分は醜いかもしれないが、受け入れる奴は絶対にいる。また同時に理解されなくても、それに怯えることはない。

だって、デル・トロ自身がこう語っているんだ。

僕は信じている。僕たちは互いに愛し合うことができる一方、“違っている”ことや、“よそ者”であることを恥ずべき存在だとする者たちと距離を置くこともできるのだ

(『ギレルモ・デル・トロのシェイプ・オブ・ウォーター/混沌の時代に贈るおとぎ話』序文より)

書いた人:

twitter.com

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彼女にフラれたけど、俺はレントンなのでエウレカを探し続ける、死ぬまで。

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(出典:Amazon/©️BONES)

こんばんは。ドンクライ編集の稲田ズイキ(@andymizuki) | Twitterです。
今回書くのは、『交響詩篇エウレカセブン』の主人公レントン・サーストンに憧れたが、そうはなれなかった、とある男の話。

とある男…。
彼にとって、己とはレントンであり、彼女とはエウレカであり、歩む人生は『交響詩篇エウレカセブン』なのである。

 

・・・

 

童貞か
と、心の中のタカアンドトシが突っ込んだ方、ご名答。
そう、この男、20代後半にも差し掛かり、依然として童貞である。

童貞特有の誇大すぎるロマンチシズム、膨れ上がった自意識。
普通の感覚を持っている20代後半男性ならば、自分のことをレントン・サーストン(14)と間違えるはずなんてない。
普通の20代後半なら誰しも「次元大介」か「ジェット・ブラック」に代表される、ちょっといぶし銀なハードボイルド2番手を目指すものだ。

だがしかし、彼は主人公であり続けたい、レントン・サーストンであり続けたいと願う「痛い奴」だったのだ。
そして、その男の正体は、他でもない、「俺」なのである。

ーーーーノンフィクション童貞ロマン活劇の幕が、いま開く。

 

ずっとエウレカを探していた。

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(出典:amazon / ©BONES)

今忙しいから恋愛している場合じゃない。

その男は、昨晩、遠距離交際していたとある女の子からフラれた。
彼は彼女のその言葉を聞き、なぜか笑っていた。ヘラヘラが止まらなかった。
彼はこの世界の主人公でありながらも、これまでの人生をいじられキャラとして過ごしていた。
その特性から、目の前のどうしようもない「最悪」はヘラヘラすることで乗り越えるようプログラミングされていたのだ。

「そっかそっかwそれはしょうがないなw」
男は彼女の泣き声も覆い隠すように笑い続けた。

無論、笑えるはずなどあるわけがない。
笑顔の裏では、胃(物理)と心(精神)の2点同時責めを受け、声にならないおたけび「おおえwhcjsばqふいbcwjんjxkl」を叫び続けていた。

 

彼は、ずっとヒロインを探していた
少々気持ち悪いかもしれないが、これは2000年代に思春期を迎えたセカイ系童貞オタクのカルチャー的必然なのだ。
この絶望混濁の世界を生き抜くには、僕という主人公と、君というヒロインだけで構築する二人だけの「セカイ」が必要だったのだ。

※セカイ系がわからない人のための説明書

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http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%BB%E3%82%AB%E3%82%A4%E7%B3%BB

中でも、彼はより純愛なボーイ・ミーツ・ガール・ストーリー『交響詩篇エウレカセブン』のセカイに憧れていた。

「俺は君が好きなんだ。君だからできたんだ。君じゃなきゃダメなんだ。俺は君が大好きだ!」 

この言葉、2話のレントン少年の名言である。
田舎暮らしの冴えない少年レントンの目の前に、巨大ロボットに乗ったエウレカが現れたのが第1話「ブルー・マンデー」。
ラピュタでいう「親方!空から女の子が!」。
そのおよそ30分後に、レントン少年は抑えきれないラブをエウレカにぶち放ってしまっているのだ。

パズーも「早漏かよ」と思わず突っ込んでしまうこの速度。速い、速すぎる。
これが僕が憧れる「セカイ系の恋」なのである。

「私が大好きで、そして私が1番守りたいもの
リンクと一緒にいたい
メーテルと一緒にいたい
モーリスと一緒にいたい
そしてレントンと…
だけど そう願うことで
私の大切なものが失われてしまうなら
そう願うことでみんなの星がなくなるなら
私は願うことをやめよう
でも許されるのなら
もう一度みんなに会いたい
会いたい…会いたいよ…
レントン」
(50話「星に願いを」-エウレカ) 

世界をかけた恋」そんな言葉で表現すれば陳腐なものに聞こえてしまうが、最終局面、二人の恋愛は確かにそうなのだ。
君 or 世界」の決断、つまり君がいることを望めば、この世界は終わりを迎える。
皆までは言わない。
二人の出した答えはLOVEに決まっているのであった。、
世界を敵に回しても、エウレカと一緒に生きる道を選ぶレントン。

そんなレントンに憧れた男も、やっと現実世界でヒロインを見つけた、はずであった。
自分だけのエウレカを見つけた、はずであった。

遠距離恋愛だったけど、距離を感じさせない。
「僕」と「君」の心だけで繋がっているセカイの前では、物理的距離は意味を持たないと思っていた。

 

俺のセカイは脆すぎた。

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多忙

彼の構築したセカイはたった2文字で砕かれた。
多忙 breaks “world”.
「忙しさ」にセカイが負けたのだ。
そんな結末のセカイ系作品も、そんな無碍なこと言われる主人公も未だかつて聞いたことがない。

そんなバカなことがあってたまるか……。
「忙しさ」とは極めて現実的・日常的問題だ。
対して、二人の愛とか関係性は、なんかもっと形而上学的というか、観念的というか、なんていうか、もっとすごいやつなはずだったのである。
エウレカセブンに突然TOKIOが現れて、スカブコーラルで田畑を耕し始めたような急落下であった。

これがセカイ系主人公を目指した末の最終回だというのか。
だったら、俺たちゼロ年代セカイ系童貞オタクはどうやって生きていけばいいのだ。
どうやってセカイを構築すればいいというのだ。

レントンはエウレカがピンチの時には必ず現れて、彼女を助けた。
ところが、俺は、彼女が忙しいピンチの状況で切り捨てられているのだ。

俺「俺は君が好きなんだ。君だからできたんだ。君じゃなきゃダメなんだ。俺は君が大好きだ!」
彼女「あ、今忙しいから」
俺「あ、、、」
彼女「なんかごめんね・・・」
俺「ヘッヘッヘッへッ(ヘラヘラ)」

なんという非力な主人公。
逆に、たくましすぎるだろヒロイン。
セカイ系作品としては異色すぎて、1話切り決定である。

どうして俺はレントン・サーストンになれないのか。
レントンだって童貞のはずだ。
童貞だけがセカイ系主人公になれるんじゃなかったのか。
俺はずっとそう信じていたんだけどな……おぉ?

 

ハップという現実と「おっさんのセカイ系」

いま文章を書きながら、ふと我に帰り、気づいたことがある。

初めて『交響詩篇エウレカセブン』を観たのは中学生の頃。
レントンとエウレカが織りなすラブストーリーに憧れ、焦燥し、悶え苦しんだ。
『耳をすませば』を観たら死にたくなるあの現象と同じように。

俺の心はあの頃のままだった。
ずっとレントンに自分を投影し続けているのである

だけど、20代もそろそろ後半に差しかかろうとする中、レントンと俺のビジュアルはあまりにもかけ離れている、ということに気づいた。

 

 

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 ハップ。そう、俺はレントンではなくハップに近づいているのだ。

 

 

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 ハップとは、おっさんである。
腕毛の濃さがやけにリアルな、ただのおっさんである。

 

 

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 最近、鏡を見るたびに「おっさん」という現実が押し寄せる。
にじり寄るおっさんの恐怖。
頼む、ハップ。こっちくんな、やめろ。

しかも、エロ本を読んでいるあたりも心当たりがある。
驚きのプレイ」ってまじなんなんだよ。
どんな顔で「驚きのプレイ」を見てんだよハップ。

 

見た目はハップ、心はレントン
気味の悪い名探偵コナンがいまここに出来上がろうとしているのだ。

 

すると、「おっさんがいつまで夢を見ているんだ」そんな声が聞こえてきそうだ。
ガキ臭い。童貞の極み。自意識をこじらせた犯罪者予備軍。
いろんなご意見があることだろう。

だがしかし、俺は希望を捨てない。
やけにポジティブなのは、自分はこの人生の主人公だと信じて疑わないからである。

信じていれば、いつか世界は変わる。
そう教えてくれたのは、かつて観ていたセカイ系アニメであった。
現実を超えた想像とロマンの世界は血肉になり、俺に主人公としての自意識を構築しているのである。

俺は信じている。
「こんな主人公だからこそ構築できるセカイもあるのではないか」と。
そう、これは「おっさんのセカイ系」。
そんな可能性の物語である。

 


 

これは今よりもずっと先。でも、そう遠くはない未来の話。

おっさんがヒロインと出会い、おっさんがセカイを救う。

ちょっと壮大なように聞こえるけど、実はそんなに大したことがない、普通の人生の物語。

でも、この物語の可能性を信じて、「彼」はいま前を向こうとしている。
一見どうしようもない人生でもわずかな希望を抱こうとしている。

かつて星を救った英雄はこう言った。
アイ キャン フラーーーーーーーイ」と。
彼もいつか飛び立つ。きっと必ず。

 

・・・(つづく!)

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書いた人:いなだみずき 

あの頃、私たちこそが「魔女」だった。『魔法少女まどか☆マギカ』は美樹さやかに共感する

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『魔法少女まどか☆マギカ』、もはや7年も前の作品になってしまった。

それでも、私たちの記憶に鮮烈に残り、深いところで眠り続けている。

それだけの深く刺さってきたのは、一体なぜだろう? 私は、作中の魔女こそ、私たちだったからだと思っている。

 

私たちが生きる、魔女を生むリアル

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「普通の物語」は優しい世界がほとんどだ。

そこでは努力が報われるし、正義の味方は必ず勝つ。

囚われの少女は解放され、王子様と結ばれる。

そういう物語がみんなに好かれる。

きっと、誰だって勝ち組になりたいし、明るい夢を持ちたいからだろう。

物語に登場しない人のことは興味ないし、気にも留めない。

しかし、現実は違う。誰にでも優しい世界が開かれるわけではない。

「優しい世界」の裏側には、「優しくない世界」が存在する。

努力が報われないことも多いし、正義の味方は登場しない。

哀れな少女は囚われたまま一生を終えるのが当たり前。

それどころか、やがて別の少女を縛る悪い魔女になってしまうこともある。

 

自己嫌悪に潰れる、正義の味方

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『魔法少女まどかマギ力』に登場する「美樹さやか」。彼女こそその人だろう。

主人公の親友ポジションで、ムードメーカーなキャラクター。

彼女は幸せな学生生活を送り、淡い恋心を抱きながら青春を謳歌していた。

同時に、正しいことは報われるのだと純粋に信じていた。

そして彼女は、契約を交わして得た、たった1つの願いごとを使って好きな人の怪我を治す。

もちろん代償として、悪役と戦う「戦士」になったが、それでも「みんなを守る正義の味方だ」と前向きだった。

しかし、世界は残酷なもの。

想い人は友人に取られ、信じていた正しさにも裏切られる。

「ねえ、この世界って守る価値あるの? あたし何の為に戦ってたの? 教えてよ。今すぐあんたが教えてよ。でないとあたし...」

「あの時、仁美を助けなければって。ほんの一瞬だけ思っちゃった。正義の味方失格だよ...。」

内にある暗い感情に気づき、自己嫌悪に潰れていく。

 

誰かの人生の脇役で終わっていく私たち

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結果として、彼女は絶望の末に自分自身が不幸を振りまく「魔女」になってしまう。

彼女は「正義の味方」にも「王子様と結ばれる女の子」にもなれなかったのだ。

そんな彼女を見てまるで他人事のように思えなかったのは、きっと私だけではないだろう。

どちらかというと、私は「優しくない世界」を生きてきた人間だ。

「いじめ」を何度も受けたり、運よくグループに潜り込めても「いじられ役」が関の山。

何年かすると孤独にも慣れたが、それでも空気は息苦しいままだった。 まだ何十年も残っている人生を思うと、乾いた絶望が広がっていくようだった。

「私はこのまま、誰かの人生の脇役で終わっていくんだろうな」

薄っすらとだが、そう思っていた。

だからだと思う。

その頃、「優しい世界」の物語ばかりが溢れている世の中から、遠回しに拒絶されているように感じた。

きらめく世界を期待する人々にとっての私は、視界に入るだけで迷惑な存在なのかもしれない。

臭いものに蓋をする”という言葉を聞いて、ああ自分はゴミなのだと。「なんで産まれてきてしまったのだろう」と、悲しくて悲しくて仕方がなかった。

 

リアルが変わらなくてもいい

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それでも最終話、主人公まどかにより、魔法少女が魔女になることがなくなった。過去現在未来、人を呪い、殺していく魔女たちの全て。

みな絶望から解放されたのだ。

そして、美樹さやかも絶望から救われた。最期に想い人の晴れ姿を見て、安らかに終わることができた。

「...うん。これでいいよ」

「そうだよ。私はただ、もう一度、アイツの演奏が聴きたかっただけなんだ。あのヴァイオリンを、もっともっと大勢の人に聴いてほしかった」

「それを思い出せただけで、十分だよ。もう何の後悔もない」

涙がこぼれた。

まどマギは、「普通の物語」では画面に映らない脇役たちにスポットライトを当て、「救済」を与える。

努力が報われなかった者。使い捨てられた犠牲者。

誰も気に留めない、人生の脇役たち。

鹿目まどかが救おうとした美樹さやか、そして名も無い魔法少女たちが、自分ととにかく重なって見えた。作品全体が声を上げていた。

「彼女たちもここにいて、頑張っているんだ」「救済されるべき存在だ」と。

それが心に刺さった。

現実は変わらないかもしれない。

でも、確かに私の心は救われた。

「私も、ここにいてもいいんだ」

心なしか息をするのも少し楽になった気がした。

美樹さやかと他の魔法少女たち、そして名も無い脇役たちに感謝を。ありがとう。

 

書いた人:

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創作と現実の狭間にある「ちびまる子ちゃん」の魅力をエッセイから探る

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(出典:©さくらプロダクション/日本アニメーション)

ちびまる子ちゃん」はどうして人々に受け入れられるのでしょうか。

現在、日曜6時のお茶の間の定番のテレビアニメとして存在し、「サザエさん」や「ドラえもん」同様に様々な年齢層の人に親しまれている作品として有名です。

さて、さくらももこにはもう一つ別の顔があることをご存知でしょうか。

彼女は、エッセイ作家のしての一面も持ち合わせています。
国民的漫画「ちびまる子ちゃん」が広く受け入れられる魅力の背景に、作品のルーツとなるエッセイでのエピソードがあるのではないでしょうか。今回は、さくらももこのエッセイと「ちびまる子ちゃん」を取り上げ、「ちびまる子ちゃん」の世界観やその魅力に迫っていきます。

リアリティのある創作である「ちびまる子ちゃん」

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(出典:©さくらプロダクション/日本アニメーション)

「ちびまる子ちゃん」は、作者の子ども時代を投影した作品ですが、創作された設定がたくさんあります。例えば、実際のさくらももこの家庭は八百屋ですが、作中ではそのような描写はなく、まる子の父であるヒロシの職業が明かされておりません。しかしながら、父ヒロシの性格や振る舞いは実際のさくらももこの父をモデルにした人物として描かれています。

このように、「ちびまる子ちゃん」は創作としての物語の中に作者の体験した出来事や実際の人物が描かれる作品となっています。「ちびまる子ちゃん」同様にアニメがお茶の間に受け入れられている「ドラえもん」「サザエさん」「クレヨンしんちゃん」とは、大きく異なる点でしょう。

「ちびまる子ちゃん」初期の作品は、さくらももこの実際のエピソードにも通じる話が多くなります。さくらももこは、漫画以外にもエッセイを数多く発表しており、その中で繰り返し自身の子ども時代のできごとを書いています。

そうすることで、「ちびまる子ちゃん」作品の根源となる作者自身の思想や1970年代の生活の様相が色濃く表れるのです。紙芝居屋さんやフェスタしずおかをまる子が楽しむ話などが例として挙がるでしょう。

では、さくらももこのエッセイは「ちびまる子ちゃん」にどのような影響を与えているのでしょうか。

さくらももこのエッセイの中のエピソード

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(出典:©集英社)

ここでは、さくらももこのエッセイの中からいくつか印象に残っているエピソードを紹介していきます。

〇「メルヘン翁」

エッセイ集『もものかんづめ』に掲載されているエッセイで、幼いころに祖父が急死したときのエピソード。急な事だったので、祖父の口を閉じさせるために、豆しぼりの手ぬぐいを誰かがつけさせるとメルヘンチックな姿になってしまい、姉とさくらももこが大笑いします。この話では、生前の祖父がボケたふりをして風呂をのぞいたり、貯金を盗んだりしていたため、さくらももこは祖父に対して嫌な感情を持っていたことが書かれています。

理想のおじいちゃんとしての「友蔵」

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(出典:©集英社)

エッセイに出てくる人々には、「ちびまる子ちゃん」のキャラクターと同名の人物がいますが、そのキャラクター性は大きく異なります。例えば、漫画では優しくて孫に甘いおじいちゃんである「友蔵」は実際には嫌な奴でした。遺体を目にして家族が大笑いする状況なんてそうそうありませんよね。

メルヘン翁のエッセイが発表された後、家族である祖父に対する描写が酷すぎることで苦情がきたようですが、さくらももこは、『もものかんづめ』というエッセイ集の「その後の話」にて「私は爺さんの事は好きではなかったが、自分の描いている漫画に出てくる爺さんは好きである。」と書いています。さらに、漫画の友蔵に対して、「まる子をかわいがるのは、私の憧れと理想とまる子への想い入れが混じっているのだと思う。」と追記しています。

まる子は時々サボりや悪さをするが、基本的にはみんなから愛されるキャラクターとして描かれています。そして、作中、お母さんに大目玉を食らうことがしばしばありますが、どんな時でも味方をしてくれるおじいちゃんがいますよね。友蔵とまる子の関係をうらやましいと思った人もいるのではないでしょうか。「ちびまる子ちゃん」では定番の掛け合いの中にも、作者の理想が内包されているのです。

ツッコミ不在の空間をまとめあげる鋭いナレーション

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(出典:©集英社)

さくらももこのエッセイは独自の切り口で語られます。

身近にありふれた出来事に対しても、繊細な視座で観察し、シニカルな笑いを誘うエッセイ作品にまとめあげていきます。エッセイでは鋭い観察眼とセンスのあるツッコミが目立ちますが、これは、「ちびまる子ちゃん」にも通じます。

アニメの「ちびまる子ちゃん」を思い浮かべてください。登場人物がなにかボケたことを発言すると「それは〇〇である」なんて声が入るシーンがよくありますよね。声優キートン山田のナレーションによるツッコミを用いて、作中の出来事に対してコメントしていく手法をとっていますが、これはアニメ版だけの演出ではありません。

漫画の「ちびまる子ちゃん」でも似ている手法がとられているのです。キャラクターの突飛な発言と同じコマの中に登場人物ではないナレーションからのツッコミが入ります。これが痛快で心地よい。遠慮がまるでないのです。

さくらももこはナレーションを用いて自分が生み出したキャラクターたちへ鋭い指摘を浴びせていきます。他の作品だと、誰かがとぼけたことを発言したら別のしっかり者のキャラクターがそれを指摘する役割を担うことが多いのではないでしょうか。

しかし、「ちびまる子ちゃん」の場合はツッコミ不在でも成り立つのです。キャラクターの知らないところで作者がツッコミを入れることができるので問題ありません。そのため、キャラクターが暴走しても収拾がつきます。

もちろん、各キャラクターの性格は大きく異なるので、大体の役割はありますが、状況によって柔軟に変化します。上の図だと、しっかり者であるように描かれることの多いまる子のお姉ちゃんに向けて、指摘が向けられていますよね。

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(出典:©集英社)

さらに、ナレーションの鋭い指摘自体がオチに笑いを加えることもあります。「ちびまる子ちゃん」におけるナレーションの活用は、作品の物語の進行を補足する以上の存在感があるのです。そして、この容赦ないツッコミこそ、さくらももこのエッセイ集でのノリに近いものがあるように感じます。

これは、さくらももこの作品全般にまつわる手法ではありません。例として、さくらももこ自身の青春時代を描いた「ひとりずもう」を紹介します。

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(出典:©小学館)

この漫画は、かつてまる子だったさくらももこの青春時代が舞台となります。上の図では、吹き出し外のセリフはあるものの、漫画の登場人物であるさくらももこ自身の胸中が語られる場となっています。このように「ひとりずもう」の中では、「ちびまる子ちゃん」のような鋭いナレーションは入らずに物語が進行します。

ちびまる子ちゃんの魅力とは

「ちびまる子ちゃん」は様々な年齢層の人に受け入れられています。「国民的アニメ」「国民的漫画」として親しまれる作品には、家族を扱ったものが多くありますが、「ちびまる子ちゃん」がその中でも埋もれないほどの魅力はなんでしょうか。

 私は、エッセイ漫画の形を用いた作品の構造が作品を魅力的にしているのではないかと考えます。アニメでの「サザエさん」「ドラえもん」では、年長の人物や先生が威厳を持っていて、子どもが怖がる描写がたびたび繰り返されますが、「ちびまる子ちゃん」は、アニメ・原作どちらもその要素は薄いように感じます。

例えば、サザエさんでは、カツオが父の波平や学校の先生を怖がる様子が描かれています。また、ドラえもんにおいても、のび太にとってママやパパ、先生は怖い存在です。そして、それらのアニメでは、各家庭の年長者や先生がカツオやのび太を怒鳴りつけるシーンが定番となっています。

しかし、ちびまる子ちゃんにおける「先生」「年長者」はそうではありません。まる子の先生である戸川先生は、温和で話のわかる先生として描かれています。そして、家族の中で年長である友蔵もまる子を怒鳴りつけることなどない穏やかな人物ですよね。

戸川先生や友蔵のキャラクター設定には、さくらももこの願望が詰まっているのですが、読者にとってもまる子をかわいがってくれる安心できる人物となっています。

加えて、さくら家の中では、母がまる子を叱る役割を担うことが多いです。ですが、威厳がある人物というわけではありません。まる子の悪さに応じて叱るという具合で、まる子が対等にお母さんに口答えするシーンもよく描かれています。この場合は、さくらももこのエッセイに出てくる「お母さん」像がそのまま反映されているのだと考えます。

また、「ちびまる子ちゃん」は話数を重ねるにつれ、エッセイ色が薄くなり、個性際立つキャラクターが活躍するようになります。そんな中で、彼らは自由に各々発言していきます。時には、彼らのやり取りにナレーションによる鋭いツッコミが加わり、やや毒のある笑いを生み出します。

個性豊かなキャラクターが活躍する点では、「クレヨンしんちゃん」と「ちびまる子ちゃん」はある種共通する部分があります。ですが、ナレーションによって生み出される独特のシニカルな「ちびまる子ちゃん」の笑いと、天真爛漫なしんのすけに振り回される周囲の人物から生まれる「クレヨンしんちゃん」の笑いは、全く別物で、それぞれの魅力があるように感じます。

このような作品の構造によって、「ちびまる子ちゃん」は唯一無二の作品となりました。「ちびまる子ちゃん」はコミックエッセイではなく、創作の中に作者の体験談を加える手法をとります。さくらももこのエッセイを読むと、ちびまる子ちゃんの世界観とは異なる点が目立ちます。彼女のエッセイにはやさしい祖父の姿はありません。そして、先生や家族にあまり褒められない地味な少女として自身のことを記述している印象を受けました。

ですが、「ちびまる子ちゃん」では正反対です。まる子は忘れ物が多かったり少しずるい点があるものの、基本的には周囲の人物に愛される人物として描かれています。特に、友蔵はまる子が思い切り甘えることのできる理想的な人物。

作中のまる子は友蔵から無条件の承認を受けます。さくらももこの描くまる子は安心して見ていられますが、それは、まる子がひどい目にあうことはあっても、彼女を見捨てる人がいないからではないでしょうか。

そして、多くの場合、作中でまる子に対して毒のある厳しい指摘をする役目はナレーションです。まる子の周囲の人物ではなく、ナレーションを用いることで、さくらももこ独特の鋭い口調もシニカルな笑いに昇華されます。

「ちびまる子ちゃん」の魅力は、以上のような理想郷としての創作と現実のバランスの心地よさであると考えます。このような絶妙なバランスによって、「ちびまる子ちゃん」は多くの人に受け入れられる作品になったのではないでしょうか。

ぜひ、「ちびまる子ちゃん」と合わせて、さくらももこのエッセイを読んでみてほしいです。きっと、新たな魅力を発見できるでしょう。

書いた人:千鳥あゆむ

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IQ5になって皆で叫ぼう!アニメ『トップをねらえ!』をあたまわるく楽しむ会

お姉様、告知をするわ。
ええ、よくってよ。

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ドンクライのオフ会第二弾!!
『トップをねらえ!』をあたまわるく楽しむ会です!!!
うああああああ!!!!

申し遅れました、わたくし、生まれはヱクセリヲン、育ちはヱルトリウム。
趣味は「艦長、第7ハッチが開いてます」ごっこ。デンドンデンドンからのガイナ立ち!!ああんもうトップだいしゅき!!!!!!!!
ドンクライ編集の稲田ズイキ@andymizuki です!!!!炎!!

時はきました。
今回、あのガイナックスの名作ロボットアニメ『トップをねらえ!』を語り合います。

え? お酒を片手に? トップをねらえ!の名シーンを振り返り? 名言のあれらこれらに酔いしれる?

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え、しかも普段DJイベントとかやってるお洒落空間で? ワチャワチャ騒ぐ?

こんな至福なイベントあっていいんですか!!!!!!
あっていいんです!!!!!!
『トップをねらえ!』を観たことのある人はもちろん、まだ見たことのない人(なんて幸せな人なんだ)も遠慮なくご参加ください!!!

 

唯一のルール

ところで、今回のイベント、守っていただきたいルールが一つだけあります。

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むずかしいことは言わない」これが唯一のルールです。

例えば、名シーンを振り返る際は、以下のようにして自身の思いを伝えましょう。

ああああああああああああああ好きぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいい
あっあっあっあっあっあっあっあっくるくるくるくるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ

基本的には「ああああああああ」「うおおおおおおおお」といった感動詞、もしくはひらがなの連続でお願いします。
ご存知の方は、ダブルバスターコレダー時の日高のり子風に「うああああああああああ」とお叫びくださっても構いません。

形容詞・動詞は、「好き」「熱い」「泣ける」など、3文字以内に抑えてください。
感動詞と組み合わせた「好きぃぃぃぃぃぃぃぃぃ」「生きるぅぅぅぅぅぅぅぅ」などはOKとさせていただきます。

 

もし、もしもですよ。今回のイベントで「むずかしいこと」を言ってしまった場合。

例えば、「あの4話の爆発、トップの世界は宇宙空間が真空空間ではなく、電磁、弱、強、重力の四つの量子で構成される『エーテル理論』に基づく空間だから、連鎖的に爆発が起きているんだよ」

こんな「あたまのいい感想」が見つかった場合、IQ5の楽しい公の秩序を乱す思想犯として即逮捕です。
見つけ次第、公安警察である僕が即座に取り押さえます。(IQ5のまま熱中しているので、発見できない可能性もありますが)

(トップ大好き人間として、小難しいこと語りたくなる気持ちもすごく分かるので、語り欲を催した際は小声でこそっとお話しください。優しく見逃します。)

 

ドンクライは「好き」の想いでつながる場所

こんな理不尽なルールを設けた理由を話しますとですね。

オフ会とかで、作品の知識をひけらかす現象あるじゃないですか?
いわゆる「オタクの知識マウンティング」です。

せっかく同じ作品が大好きな人同士集まっているのに、そこにヒエラルキーが生まれてしまうのは悲しいじゃないですか。
特に、作品に救われた人のメディア「ドンクライ」のイベントなら、尚更です。

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前回のイベント。初対面だったが、好きなアニメを語れば一つになれた。

僕たちドンクライが大切にしているのは「作品に対する気持ちの絶対値」ただ一つだけ。決して、知識量ではありません。

たとえ作品の知識がなくたって、設定資料集を読んでいなくたって、「この作品が好き」という気持ちがあればいいじゃないですか。そこにヒエラルキーなんてない。

「苦しかったあのとき、何気なく観たこの作品に救われた・・・」
「よくわからないけど、この作品を観ると、嫌なこと全部忘れられるんだ・・・」

僕たちは、そんな気持ちから溢れ出た言語化できない魂の咆哮「ああああああああああああ」が聞きたいのです。
複数人の「あああああああああああ」が織りなすエモい空間を作りたいのです。

たしかに知識量も、作品に対する気持ちの表象の一つではあると思います。
ですが、性質上どうしても上下関係が生まれやすい。
だから、今回は厳禁ということにしました。
特に今回はまだトップをねらえ!を観たことのない人も半分近く来る予定なので尚更。

という具合なので、観たことないけど、どんなアニメなのか気になるという方も、大歓迎です!

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(出典:amazon / ©バンダイビジュアル)

『トップをねらえ!』はアニメ史に残る超名作です。監督はエヴァンゲリオンの庵野秀明
僕は初視聴以来、作品に込められた”熱”にあてられ、人生が「トップ以前・トップ以後」と分かたれることになりました。
トップをねらえ!に人生を変えられてしまったのです。

さぁ、新しい人生の門出。
(多少うるさいかもしれないですけど、)一人で観るより、絶対に楽しいですよ。

それでは、編集部員、ライター一同、皆さんのご参加をお待ちしております!
あたまわるく、IQ5でトップをねらえ!を楽しみましょう!!

ご予約はこちら@DONCRY_magにDMでどうぞ!

★イベント詳細

時間:2/24(土)18:00〜20:30
場所:渋谷Aurra http://aurra.jp/about.php
参加費:2500円(オードブル+飲み放題)
※イベント後に有志で"アニソンカラオケ"もしくは"語り会"を開催予定

 

書いた人:

少年時代、公園で拾えなかったエッチな漫画をSNSで探してみた

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(出典:Aaron Burden on Unsplash)

どうも、佐伯ポインティ@boogie_goといいます!

もともとコルクというクリエイターのエージェント会社で漫画の編集者をしていたのですが独立し、今は“エロデューサー”を名乗り、 「男女楽しめるエロスのあるコンテンツ」をつくる活動をしています。 

DON’CRYは、「オタク」と「孤独」をテーマにしたメディア。孤独、と聞いて思い出すのは、学生時代の頃の話です。 今でこそ、“エロデューサー”なんて表立って名乗ってますが、 小中学生の頃、エロいことへの興味を隠していました。

近所のお兄さんに借りた『らんま 1/2』を持ってる事を隠したり。 授業中、辞書でエロい単語を調べまくってるのに、素知らぬ顔したり。 ビデオ屋の18禁コーナーの付近でDVDを見るフリして、隙間から覗いたり。 塾の行き帰りにエロ漫画を表紙だけ読んで、ビビって買わずに帰ったり。(中学生の終わりから、学食の素うどんにして、浮いたお金でエロ漫画を買いだすようになるわけですが。) 

小さい頃って、エロいことへの興味はめっちゃあるのに、 まわりに言うとヤバい気がして、話せなくて、凄く孤独ですよね。

今回はそんな僕が、極めつけ孤独を感じた、 公園でエロ漫画に興味があったのに拾えなかった時のことを書きます。

 

ボーイ ミーツ エロ漫画。

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(出典:Jess Johnson/Flickr)

小4の放課後、よく高速の下にある公園で遊んでいました。そこは遊具は少ないので、メインの遊びは探検することでした。

ある日、5人くらいで探検していると、 公園の奥の茂みに、エロ漫画が落ちていたのです。

エロ漫画 in 公園 featring 小学生。

静かな興奮と緊張が、探検メンバーに広がりました。 

うぉおおおおお読みたい!!!

...が、ここで読むと、エロいやつ認定を食らってしまう......

明日のクラスで地獄のように言われまくり...... 同じクラスいる女子には引かれ...... あだ名が「エロマン」になり...ゆくゆくは先生に呼び出される...

でもめっちゃ拾いたい...中身読みたい......

小学生とエロの組み合わせは、本当に難しいのです。勃起の概念すら知らない小学生は、エロは忌むべきものだと思っているので、「興味がある」とバレた瞬間にアウトなのです。

そう、エロマン=死なのです。

思春期に、皆の前で「公園のエロ漫画に興味をもつ」ということは、数年間の迫害にも繋がりうるかなりデンジャーな行為。...というか、きっとみんなそうでしたよね? しかし、発見したという事実は動きません。

平和な空間に突如現れた異物によって緊張が走るなか、 探検メンバーのうち空気が読めないひょうきん者が「わ!!エロ本みっけ~!!」 と、探検時の必需品の木の棒でこちらに寄せました。ナイス!!!

どう考えてもナイス。彼はとてつもなく偉大です。 タイムスリップして褒めてあげたい。

【あくまでも興味は全く無いけど、探検で見つけてしまった変なブツだから読む】

という誰も「エロマン」にならないコマンドにたどり着き、「うわなにこれww」という、全員が覗き込みながら読み始める流れになりました。

しかし、そのエロ漫画は、僕らの想像を遥かに超えるエロさを誇っていたんです。

 

これが、マジのエロス…。

アイドルらしき子に、本来ならば歌うための道具であるマイクロフォンが、ごっそり挿入されていました。 会場には、いやらしい音が響いて聞こえてしまっています。

そして、それまで見たことのなかったちんぽの生えたアイドルが登場していました。

馬から角が生えたら、ユニコーン。

女の子からちんぽが生えたら、ふたなりです。

マイク挿入とふたなり。グラビアで興奮しちゃうような小学生だった当時の僕には、大きすぎる衝撃でした。

おいおい...こんなの読んだことないぞ... なんかよくわかんないけど...ドキドキする......... 今まで俺がみてきた水着とかグラビアって、なんだったんだ...

エロ漫画って、エッロい......今までのとは明らかに別物...あ...ズボンが痛いくらい張ってきた......

あまりの衝撃なのか、14年もの年月を経たからなのか、 断片的にしか覚えてないのですが、とにかく、今までエロいと言っていたものとは全然別の角度の、ドッエロい漫画だったのです。

今思えば、サトシが旅の初日にホウオウを見るくらいの素敵な出会い。ですが、雑誌のグラビアでも「わっひゃ〜」となる当時の僕らにとって、その漫画との邂逅は、 冒険初日のホビット達が“暴王”バハムートに遭遇するようなものです。ヤバすぎです。

 

覚えていない、でも忘れられないあの本の名は。

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(出典:Kamil Porembiński/Flickr)

 すぐに「うわ〜〜やっべ〜!キモっ〜!」とか言いながら探検隊は捨てたのですが、 僕は、(す...凄いものを見た...明日もう一度、拾いに来よう...)とクラクラしながら思っていま した。

しかし、翌日にはその漫画は失くなっていたのです。

ない。

近くの草むらやゴミ箱を探してみても、ない。絶望です。生まれて初めての絶望だったかもしれません。

いくら探しても、エロ漫画はみつかりません。 そう。あれは、お金で買えないものだったのです。 山崎まさよしの『One more time,One more chance』の気分です。

また、探してたことがバレるとアウトなので、結局誰にも言えませんでした。 「あれさ、どうなったのかな...。」そんな会話もせず、卒業しました。

...時は流れ、僕はエロデューサーになりました。 エロいことを好きになった日々のことを考えているうちに、 拾えなかったエロ漫画のことを思い出してハッとしました。そして思ったのです。

あのエロ漫画に、もう一度出会いたい!!!!

手がかりは、

「アイドルがマイクを挿入され、会場にゴンゴン音が響き渡る」 「ふたなりのアイドルがいる」「複数のアイドルがいる」

といったぼんやりとした要素だけ。もちろん、この要素も確かではありません。

しかし!今は、SNS全盛期の、2018年。 Twitterで募集すれば、ヒントが得られるのでは...?? さっそくツイートします。

そしたら、すぐにリプライとDMが!!! なかでも心強かったのは、『エロマンガ表現史』を書かれた、美少女コミック研究家の稀見理都@kimirito)さん。

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(出典:太田出版)

DMをくれた方や、稀見さんの探偵のような洞察力によって、作品の候補が絞れました。

  •  『清純少女』松本剛史
  • 『シャイニング娘。』(1)~(6)師走の翁
  • 『パレードパレード』あきふじさとし

...エロ漫画を探すこととは、登山のようなものです。 登る山が険しければ険しいほど、探すのが大変なほど、登りきったときのエクスタシーは大きくなります。

だから僕は、途中であきらめて下山(ギブアップ)することはありませんでした。

そして...

ついに!!!

ついにたどり着きました!!!!

シャイニング娘。』vol2 だ~~~~~~~!!!!!!

※ 残念ながらここにはページが掲載できないので、読みたい方はこちら

 

ずっと好きだった。

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(出典:Amazon/ヒット出版社; 改訂版 (2002/11))

今読んでも、フルボッキオブザイヤーもののエロ漫画。これを小学生の時に喰らっていたら、完全にフルボッキモンキーになっていました...。

『シャイニング娘。』にたどり着いて感動したのが、 僕が一番好きな(かつ抜いてる)エロ漫画家が、 師走の翁先生(@siwasunookina)だということ。

実は、社会人になり、仕事のストレスからエロ漫画を買いまくっている時に出会った『ヌーディストビーチに修学旅行で!!のハッピーで楽しいエロスと身体のエロすぎるクオリティに衝撃を受けて、師走の翁先生が大好きだったのです。

精装追男姐』は画期的アイデアがヤバいし、『ピスはめ!は最後アツくてエロい展開がある し、『アイブカ!(仮)は前半と後半の視点の入れ替えの構成が素晴らしいし、『エロ♥ピッピ』はどの短編も没入感が凄い...とにかくエロすぎる名作ばかりなんです!!!

まさか、読んでいなかった『シャイニング娘。』のシリーズに、思い出の一作があるとは!!!

逆に、小学生の時の衝撃が脳の奥底に残っていて、 今の僕のエロ漫画の好みを形成していたのかもしれません。

感動です。 山崎まさよしからの、斉藤和義の流れです。ずっと好きだったんです。

孤独だった時があっても、ネットがあれば繋がれる。

誹謗中傷とか炎上とか、嫌な面ばっかりクローズアップされるけど、いい人も、面白い人も、エロ漫画に詳しい人も、沢山いる。思い出に出会えて、お金で買えないものが手に入るかもしれない。素敵な時代になったな...。

ふぅ...腰のダルさと満足感を感じながら、小学生のとき、エロ漫画が気になって仕方なかったのに、 友達に全く言えず、あんな漫画が気になるなんて、自分がおかしいのかな...という、相談しようのない孤独を感じていたのを思い出しました。

昔の孤独だった僕も、報われたと思います。

タイムスリップして、ゲットできなかったエロ漫画、ゲットできたぞ。

お前、エロ漫画好きで全然大丈夫だぞ。

そう昔の僕に言ってあげたいです。

みなさんも、ぜひ、思い出の一作をネットで探してみて下さい。 きっと、昔の自分と繋がれると思います。

さて、いい雰囲気になったところで、この記事を終えて、 もう一度『シャイニング娘。』をオカ...読みたいと思います。

それでは、またDON’CRYでお会いしましょうね!

書いた人:佐伯ポインティ

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